2011年6月22日(水)

嬉野

2011年6月22日(水)
嬉野です。
ある日、
思ってみたのです。
世の中のためになる人って、
ほんとは、いつの時代にもいるんじゃないか、と。
昔もいたし、
今この時代にもいるんです。
当然、この先の未来にもいる。
世の中のためになる人たちは、
おそらくどんな時代にもいて、
けして、いなくなりはしない。
ある一定数、必ず生まれ育つのです。
そして、その人たちは、
どんな大国にも生まれ育ち、
どんな小国にも生まれ育つ。
どの国にも人口に比例して、
同じ割合でいるんのです。
単純に、そう思っていい。
あとは、その役に立つ人たちが、
世の中のために活躍できる場を、
ちゃんと与えられているのか否か、
それだけなのでは、ないでしょうか。
人がいないのではなくて、
見つけられていないのです。
それは、見つける気がないからなのかも知れないし、
見つけたんだけど、あえて誰かがつぶしたとか、
なぜか活躍できなくしたとか、
なんか、
そんなことかなぁとも思うのです。
ただ、いる。
いるんだから、
必ず現れるという気がします。
こんな大変なことになっている今の日本ですから、
すでに、現れて、人知れず活躍しているのかもしれません。
その人の活躍で助けられている人も、
もういるのかもしれません。
その人の活躍を、
もうずっと見ている人も、
既にいるのかもしれません。
世の中の役に立つ人は、
きっと政治家やお役人の中にではない、
ふつうの人の中に、まぎれているだろうと思います。
今の政治家やお役人のいる組織は、
長い時代を経るうちに、
世の中の人のために、
働きづらい構造になっているのかもしれませんから、
そう思えば今の時代、
世の中の役に立つ人は、
ふつうの人の中にいる方が、
むしろ活躍しやすいのかもしれません。
世の中の役に立つ人は、
役立つための役割を、
ぼくらに教えてくれる人です。
きっと難しいことは言いません、
「あぁ、そうすれば好いんだ」と思わせてくれるような、
そんな人間本意で考えることのできる人です。
だから、その人と仕事をすると、
みんなが幸せを感じるのです。
呑気な事を書いて怒られそうですが、
そういう素直な気持ちでいたいと思いましたから、
書きました。
本日も、各自の持ち場で奮闘ください。
嬉野でした。
(14:43 嬉野)