嬉野

2009年3月9日(月)

嬉野です。

春はどこまで来ておるのやら。

奥さん、春はさぁ。
晴れた日がいいね。

田舎道。
埃っぽい道がのびていて。
遠くには山が青く。
道の脇には菜の花がいっぱい咲いてて。
かたわらに立つ桜の木は満開で。
そこへ春の風が吹くたびに。
はらはらとピンクの花びらが舞い落ちて。

呑気な春。

そうね。
おらぁ奥さん、呑気が好いよ。
そしてさ。
やらねば!
という時になったら、きちんと緊張する。

人間ね、
そういつもいつも
緊張してばかりはいられないんだよ。
そらぁ油断してると怒られるよ。
当たり前だ。
そら怒られる。
怒ってくれてありがとうだよ。

でもね、油断するなと怒られたにしてもさ。

どっちかというとね
日常的に油断してるから
健やかに生きていけるところが人にはある。

常に緊張をしているハツカネズミは、
だから心労でショック死してしまう。

昔ね。
番組で飼ってたハツカネズミの引き取り手を、
「鈴井の巣」班が探し求めていたから、
手を上げて、家で引き取った。

死んだハムスターが昔入ってたケージに入れて飼ってた。

ある晩、家の女房が可愛いからってケージに手を入れた。
でもハツカネズミは警戒して寄って来なかった。
「おいでよ」って、家の女房は無理やりハツカネズミをつかんじゃった。
そしたら、きっとモーレツに緊張したんだろうね。
そのまま死んじゃった。

生き物好きの女房の落胆振りは、
そらぁ、はたで見るのもかわいそうなくらい
気の毒なものだった。

でも、それがハツカネズミという種の生き方なのだろう。
常に緊張して怯えることで外的から身を守るのだろうよ。
気の毒だけど、
それもひとつの種の生き方だろう。

でも人間の生き方ではない。

なんかそんなことですよ奥さん。
分かったような分からん話だな。
詰めが甘かった。
いいじゃないですか奥さん。
春なんだから。

ちゅうことでね。
本日はこれにて解散!

明日からまた出張でガス。
お留守番を頼みますよ。

(13:00 嬉野)

嬉野

2009年3月6日(火)

嬉野です。

今日の札幌は嵐です。
でも春が近い嵐です。

さて、思いつきの話をひとつ。

世間には、妻子のある男性ばかりに、
想いを寄せてしまう女性がいて。
でも、いつも仕舞いには上手くいかなくなって別れてしまう。

そんな別れを繰り返すその女性を脇で見続けるうちに、
「そんな人とばっかり付き合っていてはダメよ」と友人は助言してしまう。
すると決まって「あんたなんかに私の気持ちは分かんないわよ」と怒られて、
でも、怒った彼女は、悲しげな顔をして、
それきり黙ってしまう。

でもその女性はやっぱり今回も付き合っている男性と上手くいかなくなって別れてしまう。

「ね。あなたの前では家庭に不満がありそうなことを言っても、やっぱりあの男性には、あなたより家庭の方が大事だったのよ」。そう言うとその女性はもう何も言わない。

その女性が、いつまでも生産性の無い恋の道を突き進んでいるのは、もう誰の目にも明らかなことで。

「だから好い加減にそんな家庭持ちの男性ばかりに気持ちを向けるのはやめて普通の恋をしなさいね」と、諭すように友人はまた助言する。

でも、その女性が、
まだ小さかった頃、両親が離婚して、
早くから父親に甘えられずに人生を送って来た人だとしたならば。
そして、
そのせいで。
その女性が、家庭的な雰囲気を持つ男性にしか恋心を抱けないのだとしたならば。

それでもまだ、その女性に助言することができる人がいるだろうか。

人を好きになることに割り切れる合理性も説明のつく理屈もありはしない。
あるのは、ただその人をどうしても好きになってしまう自分と、
そう想ってしまうその人なりの理由だけだろう。

ならば求めても求めても得られない人を求めてしまう理由に縛られてしまったとしたならば。
その人の恋はただただ悲しい恋にしかならず。
どこまで行っても人生のハッピーエンドにはたどり着けない運命になる。

そう考えれば、
「あんたなんかに私の気持ちは分からない」と言われてしまうのは、
悲しいほど当たり前のことなのではないだろうか。

異性しか好きになれない人に「同性を好きになりなさい」と言ったところで、
いったい誰が「はい分かりました」と言えるだろう。
同性しか好きになれない人に「異性を好きになりなさい」と言ったところで、
いったい誰が「はいわかりました」と言えるだろう。
それと同じことではないだろうかとぼくは不意に思って、
人というのは始末に負えないほど複雑な生き物だと思った。

ぼくらは複雑なのだ。
割り切れないものを抱えながら、苦しみながら、それでも生きていける。
そのことをぼくらは忘れてはならないのだ。

非合理でも、矛盾していても、理不尽でも、
苦しくても、絶望しても、
抑圧されていく自分の感情をコントロールしながら前を向いて生きていく能力が、ぼくらにはあるのだ。

それは、あらかじめぼくらの人体にプログラムされている能力だと、
今、ぼくは思うのです。

いったい何万年、何十万年前に出来上がったのか知らないけれど、
ぼくらのこの人体が完成した時、
荒々しかった当時の地球上で、ぼくらが生きていけるように、
ぼくらの人体に組み込まれた能力のような気がするのです。

だからぼくらは、その能力を、
そして、その能力を与えられたぼくらのこの人体を、信じるべきなのかもしれない。
信じて、前に向かって進むべきなのかもしれないのです。

なんかそんな気がするのです。

ぼくの頭の中にはもっと込み入っていろいろあるのですが、
整理してここに書くのが困難で、きょうはこの辺りで終わりです。

でも、ぼくは、この先どんな時代になろうと、
ぼくらの人体が持つ敏感な感度とバランス感覚とは、
常に正しく機能していくのだと、信じていくつもりです。

書いてること分からないですねきっと。
すんません。
私の考えてることなんか、気にする必要はありませんよ奥さん。
頭の悪いおやじのたわごとですから。

では、また来週!
本日はこれにて解散。

(18:06
嬉野

嬉野

2009年3月4日(水)

嬉野です。

昨日。
樋口了一さんが「誰も知らない泣ける歌」に出ていましたね。

樋口さんがスタジオライブで歌ったのは「手紙」 ?親愛なる子供たちへ? 。

女房はその時、初めて「手紙」という歌を聴いたのですが、
歌の途中に、「好い歌だね」って涙声でつぶやいていました。

「泣ける歌です」よっていうプレッシャーな紹介のされ方をしても、それでもね。聴いているうちに、やっぱりこの身に沁みてくるものがある。

ぼくの親父はもう死んでしまったけれど。
母親も八十歳という高齢になってしまったけれど。
その両親と一緒にくらしたのはせいぜい人生の18年くらいで。

でも。
大事な子供時代をその二人に守ってもらって、
それでも、親子仲が好かったり、悪かったり、
そんなでこぼこは、人それぞれにあるだろうけど。

でも、この歌を聴きながら、
ぼくが、いつも素朴にハッとするのは。
ひとりではなんにも出来なかった頃の自分が、
二人の親に大切に育てられた時間があったんだという事実。
その事実を今更のように思い起こしてしまう瞬間。

小さすぎたから。
その頃の記憶が、ぼくらの中にぽっかりとない。
だから、そんな当たり前のことを、
ぼくらは改めて意識することもないまま、この年になるまで生きてしまった。

でもさぁ、なんにも出来ない時期があったんだよねぇ。
誰にもね。
火がついたように泣いて訴えたり。
屈託無く笑って可愛いと思ってもらったりして。
そんなことしか出来ない時期があったんだよねぇ。

そんな時、大切に育ててくれる愛情がなければ、
ぼくらは生きては来れなかった。

それは、あたりまえのことなのにね。
全部、忘れてるんだよね。

若者だった父親のことも。
娘時代の面影を残していた母親のことも。
若い両親が、生命力の持つ明るさに溢れていた時間の中で暮らしていたことも。
そんな時間の中で何から何まで世話してもらっていたことも。
そしてそれが、なにより幸せな時間だったということも。

だから「あっ」って思い出してしまった瞬間に、
ぼくらは「そうだった」って思い知る。

樋口さんの「手紙」という歌は、
そんな大事なことに気づかせてくれる歌。

ということでね。
もうすぐ春です。

(16:31 嬉野)

嬉野

2009年3月2日(月)

嬉野です。

先週は道内出張で富良野の方へ行きまして、
二人とも留守をばいたしまして愛想無しでございましたよ。

みなさんお変わりありませんかね。

今日の札幌は狂ったような雪嵐でございました。
春が近い証拠だとなんとなく思うのでございますよ。

さて今週は大きな動きもありまっせんので、
こつこつと書かせていただこうと思うとりますのでね。
どうぞよろしく。

じゃ、また明日ね。

また来てね。

(18:06 嬉野)