2009年3月4日(水)

嬉野

2009年3月4日(水)

嬉野です。

昨日。
樋口了一さんが「誰も知らない泣ける歌」に出ていましたね。

樋口さんがスタジオライブで歌ったのは「手紙」 ?親愛なる子供たちへ? 。

女房はその時、初めて「手紙」という歌を聴いたのですが、
歌の途中に、「好い歌だね」って涙声でつぶやいていました。

「泣ける歌です」よっていうプレッシャーな紹介のされ方をしても、それでもね。聴いているうちに、やっぱりこの身に沁みてくるものがある。

ぼくの親父はもう死んでしまったけれど。
母親も八十歳という高齢になってしまったけれど。
その両親と一緒にくらしたのはせいぜい人生の18年くらいで。

でも。
大事な子供時代をその二人に守ってもらって、
それでも、親子仲が好かったり、悪かったり、
そんなでこぼこは、人それぞれにあるだろうけど。

でも、この歌を聴きながら、
ぼくが、いつも素朴にハッとするのは。
ひとりではなんにも出来なかった頃の自分が、
二人の親に大切に育てられた時間があったんだという事実。
その事実を今更のように思い起こしてしまう瞬間。

小さすぎたから。
その頃の記憶が、ぼくらの中にぽっかりとない。
だから、そんな当たり前のことを、
ぼくらは改めて意識することもないまま、この年になるまで生きてしまった。

でもさぁ、なんにも出来ない時期があったんだよねぇ。
誰にもね。
火がついたように泣いて訴えたり。
屈託無く笑って可愛いと思ってもらったりして。
そんなことしか出来ない時期があったんだよねぇ。

そんな時、大切に育ててくれる愛情がなければ、
ぼくらは生きては来れなかった。

それは、あたりまえのことなのにね。
全部、忘れてるんだよね。

若者だった父親のことも。
娘時代の面影を残していた母親のことも。
若い両親が、生命力の持つ明るさに溢れていた時間の中で暮らしていたことも。
そんな時間の中で何から何まで世話してもらっていたことも。
そしてそれが、なにより幸せな時間だったということも。

だから「あっ」って思い出してしまった瞬間に、
ぼくらは「そうだった」って思い知る。

樋口さんの「手紙」という歌は、
そんな大事なことに気づかせてくれる歌。

ということでね。
もうすぐ春です。

(16:31 嬉野)