7月24日(木)
7月24日(木)
嬉野です。
昨日の夜の地震で、ニュースが入りましてね、どうでしょうクラシックも放送が飛んだようなことになってしまいましたのでね、来週改めて再放送させていただいた上で、順次放送を進めさていただこうと思っておりますが、よろしいですか。
よろしいですね。
では、どうぞよろしく。
取り急ぎ御報告まで。
7月23日水曜日。藤村でございます。
ずいぶん留守にしておりました。
この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。
あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。
出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。
立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。
それを、脚本家がドラマに書き起こした。
書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。
登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。
探すわけです。
ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。
なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。
そうやって、すべての舞台を探し出す。
そして、そこに「人」が入る。
役者さんです。
役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。
始まったら、今度は、それをカメラで撮る。
ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。
撮り終わったら、編集。
編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。
つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。
シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。
音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。
音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。
効果音も付ける。
足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・
これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。
志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。
「ゼロ」から作る、作り出す。
そこには、何人もの人の力が加わる。
手間も時間も人手もかかる。
ドラマとはそういうものだ。
それがよくわかった。
そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。
現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。
そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。
(16:02
藤村)