2012年3月アーカイブ

3月30日金曜日、深夜。

藤村でございます。

現在、5月に韓国で放送されるアイドルグループのバラエティー番組を猛編集中でございます。

こんな時間になってしまいました。

みなさまにおかれましては、DVD「ヨーロッパ・リベンジ」並びに「どうでしょうフィギュア其の4」をお楽しみいただけておりますでしょうか。

さて、3月19日深夜に行った、編集室からの「ユーストリーム中継」で発表いたしましたが、

皆の衆!

いよいよ7年ぶりに!

「水曜どうでしょう祭り」を今年、開催いたします!

全国からどうバカどもが1万人以上集結し、「幸せすぎて狂いそうです」という名言を生んだ伝説の祭りが、いよいよ開催いたします。

まだ会場と日時は発表できませんが、今年、やりますぞ!

すでに準備もしております。

年貢の準備をして、詳細の発表をお待ちくだされ。

尚、先日の「ユーストリーム中継」は、4月1日に始まる「HTBオンデマンド」なるもので、無料で見ることができるそうなので、どうぞご覧ください。

さささ、では帰ります。

また来週!

茶王!


【お知らせ】
横浜そごうさんで北海道物産展が開催!
HTBも以下の日程で参加します!
4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間だけでございます。

★どうでしょう新作がついに関東圏で放送開始!
東京MX‐TVでは3月11日から!
千葉テレビさんでは4月4日から!


★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/
3月24日に本が発売されました。ぜひとも!

(23:43 藤村)
私用で明日から4日ほど留守にします。

どうでしょう祭2012の開催も決まったことだし、新年度から心機一転!サイトリニューアル!なんてことになると過去ログ飛びます。多分大丈夫だとは思いますが。


更新再開は3/28の予定です。
嬉野です。
ユースト中継も終わりまして、
BBS祭は行いませんが(^^)、
秘仏のお二人からの御開帳コメントをいただいておりますので、
みなさまは、どーぞそちらをご覧くださいませ。

3月20日火曜日、春分の日。札幌は朝から大雪でございます。

藤村でございます。

さささささ!いよいよ今夜0時をもちまして、DVD「ヨーロッパ・リベンジ」のローソンでの受け渡しが解禁となります。

それに先立つ午後10時から、恒例となりましたユーストリームでの生中継を、今回は札幌HTBのどうでしょう編集室から、藤村、嬉野でお送りいたします。

DVDとともに発売開始となる「どうでしょうフィギュア」の詳細なるご紹介をはじめとして中身の濃いお話をですね、2時間あまりビシッと生中継いたします。

ツイッターでの質問、感想なども、生中継の中で紹介してまいりますので、ぜひともご利用くだされ。

そして!本日の生中継の中で、「重要な発表」もございますぞ。お見逃しなく。


さて、昨日の夜、我々は宮城県女川から帰ってまいりました。

仙台空港まで、女川の蒲鉾屋「高政」の高橋くんがわざわざ車で送ってくれて、「じゃあ、ありがとう」って搭乗口に行こうとしたら、「いや、ちょっと寂しいんで・・・」と高橋くんが言うので、嬉野さんが「じゃあね、ちょっとお茶でも飲みましょうかね」と、空港のレストランに入って、搭乗時間まで話をしておりました。

「いやぁーなんか、夢のような3日間でした」と、彼は言っておりました。

3日前の土曜日。

同じように高橋くんが仙台空港まで迎えに来てくれて、我々は女川に向かいました。

空港から、無料になっている高速道に乗り、石巻のインターで降りました。

「ちょっと遠回りになりますが、海岸沿いの道をいきます」

そう言って、車は石巻の被災地を走りました。そこには、テレビで見た通りの風景があって、1階部分が筒抜けになっているような家が点在しており、いまだに建て直しのできていない、壊れたスーパーマーケットがありました。

悲しいとか、言葉が出ないとか、私にそういう感情はなく、「元々ここにはなにがあったの?」というようなことを高橋くんに聞きました。それに対して高橋くんも、「あ、ここにはびっしり家が建っていました」というようなことを普通に答えておりました。

やがて車は、女川町に入りました。女川町に入ったあたりの家は、先ほど見た石巻の沿岸部とは違って、普通に家が建っている感じでした。

「ここらへんは変わってないの?」
「そうですね、ここらへんは床上浸水ぐらいだったので」
「あぁーそうなんだ」

でもなんだか、車窓から見る海岸の風景に違和感のようなものを感じたので、聞きました。

「なんか、海がやたらと近い感じがするんだけど・・・これって、昔からこんな感じ?」
「いや、全然変わりました。土地が1メーター以上沈んだんで、海がすぐそこまで来ちゃいましたね」
「おーやっぱりそうなんだねぇ・・・」
「道路もだから、かさ上げしてるんですよ。そうしないと満潮で道路が沈んでしまうんで」

「なるほどねぇ」なんて思いながら、しばし、異常に近過ぎる海岸線を眺めていると、そのうち車は海岸線を離れ、山道に入りました。

「あの、こっからちょっと、風景がガラリと変わるんで・・・」

と、高橋くんが言い、車は山道を下りはじめました。

するといきなり目の前に、なにもなくなった、さら地の、女川の町が見えました。

「あー・・・」

ショック、というのはなかったです。

だって、テレビで何度も見たことのある風景ですから。港の近くの茶色い「マリンパル女川」という建物が、壊れたまま残っており、その隣にあった3階建てのビルが横倒しになっていて、それはテレビで何度も見たことのある風景だったから。

夕暮れの迫った女川の、さら地の中に車が降りていき、そして、高台にある病院の駐車場まで再び坂道を登り、車を停めました。

車を降りて、駐車場から、さら地となった女川の町を眼下に一望してみる。

実際にそこに立ってみると、テレビの映像で見ていたものとはまるで違う、「なにか」を感じました。

その「なにか」は、たぶん人それぞれで違うと思います。でも、実際に立ってみると、「テレビの映像とは違うなにか」が、それぞれに感じるはずです。

私の場合はまず、「女川の町って、狭いんだなぁ」と感じました。

そして、「こんな狭いところに、何千人もの人たちが住んでいたんだなぁ」と思いました。

「人間は、そういうところに町を作って暮らしているんだなぁ」と。

「人々が作り出す町」というものの、なにか根源的なカタチを見ようとしていました。

私は、元の女川の町の様子を知らないので、眼下に広がっているさら地となった現在の様子から、元の町の姿を想像してみました。

「海沿いには市場があって、たぶんあそこが交差点で、その周りにはたぶんお店が立ち並んでいて・・・」と。

そうやって、想像の中で、女川の町を組み立てていました。

すると高橋くんが不意に、「津波はこの病院の1階まで来たんですよねぇ」と言いました。

そこで初めて愕然としました。

「いや、ウソだろう?」って。

だって、海は、はるか眼下にあるんです。

「でも、ほら、あのマリンパルの屋上まで津波が来たんですよ。あそことここって、ほぼ同じ高さでしょう」

確かに。確かにそうなんです。でも、どう考えても、眼下に見える海がここまで来るっていうことが、想像できないんです。

それは、テレビの映像ではわからない、実体でした。

実際にそこに立ってみると、「どう考えてもあり得ないこと」が、「実際にここで起きた」ということが、いやおうなくわかります。

恐怖、とかではなく、畏れというか、太刀打ちできないなにか、というか・・・。


「あのとき、実際にどんなことを感じたんですか?」

私は遠慮なく、いろんな人に聞きました。

「あー・・・・って言うしかないんですよね。あーあーって」

「あとは、笑っちゃうんですよね。信じられなくて。いやいや、おいおいって、笑いながら、泣いてるんですよね」

太刀打ちできないものに直面したとき、人はなにもできない。

そうやって、なにもできないうちに、いろんなものを失ってしまう。

「そういう絶望的なところから、どのぐらいで立ち直るというか、次のことを考え始めるんですか?」

「2か月ぐらい経ってからかなぁ」
「おれはもう3日目ぐらいから動こうと思ってた」
「おれは年が明けてから、ようやくだな」

人それぞれに立ち直るまでの時間は違い、まだまだそんな気持ちになれない人もいるだろうけれど、でも、人間は「またここから」やり直そうとするんです。

また、あの狭い土地に、ひしめきあって暮らしたいと思うんです。

それは、知性とか理性とか感情とか、そういうものではなく、どうしようもなく沸き上がってくる人間の「本能」ではないか、と思ったんです。

太刀打ちできない自然に対して、人間はまず本能で向かっていくしかない。

「生きてく」「暮らしていく」という単純な本能に目覚めた者が、次に、知性と理性を使って、またここで生きていくための方策を立ち上げていく。

「今はもう、やるしかないですもんね。絆とかなんとか、いろいろ言ってるけど、そんなものはもう、言われなくてもわかってんです。次のことを考えていかないと」

今回、女川で復興イベントを立ち上げた人たちの口から、「悲しい」という言葉は一度も聞きませんでした。感情を表す言葉で、彼らが口にしていたのは「うれしい」、という言葉だけでした。

彼らはもう、「またここで暮らしていく」という本能に突き動かされて、そのための方策に邁進している。

日曜日に開かれたイベントは、女川の若手たちが企画し、自分たちで実行した「祭り」でした。

「祭り」という言葉に、拒絶反応を起こした人たちも少なからずいたそうです。それでも彼らは「祭り」と銘打ったイベントを、女川でやった。

町民の10人にひとりが命を失った女川の町で、彼らは、1年後に「祭り」をやったんです。

それは、多くのテレビが、あれから1年経った今でも、震災という「事実」と、それに対する人々の悲しみややるせなさという「感情」ばかりを押し出して、余計な気遣いしかコメントできない報道とはまったく違い、人間が自然に立ち向かう本能に根ざした、力強く、正直なイベントでありました。

「女川町商店街復幸祭」という名に刻まれている「商店街」は、まださら地のままです。まだ復興していません。でも、会場となった総合運動場には、日曜日、数多くのテントが並び、そこに女川町の名産品が並びました。

祭りの開催宣言をした若き女川町長は、満面の笑みでこう言ったそうです。

「ご来場のみなさま、本日はお時間の許す限り、そしてご予算の許す限り!祭りをお楽しみください」

その的を得た言葉に、みんな笑ったそうです。

女川町にあった「秀光堂」というレコード屋が、テーブルをひとつ出し、そこに、ゲストに呼ばれた樋口さんのCDを並べました。

樋口さんはステージの上から、こう言っておりました。

「僕は普段、CDを買ってくださいなんて言わないけど、今日は言います。買ってくれ」

テーブルの前に行列ができ、この日、秀光堂は復活の第一歩を刻みました。

「とにかく人に来てもらって、女川を見てほしい。そこから始めないと、なにも始まらない。女川に人が来なくなったらダメになる」

そのわかりやすい趣旨に賛同し、我々は女川に行きました。

初日の夜は、女川の工務店の敷地に建てられたコンテナの居酒屋で、イベントの実行委員会の連中といいだけ酒を飲み、バカ笑いをし、2日目の夜は、石巻の「BAMBOO SHOOT」という店で、「女川さいがいFM」のスタッフたちと、店のマスターといいだけ酒を飲み、最終日は、「高政」でビールを飲みながら蒲鉾を食い、昼メシは港の「おかせい」で、毛ガニと特上寿司をいただいて、満腹で仙台空港に向かいました。

被災地に行って、こんだけ満喫してきた我々は、「不届き者!」と呼ばれるかもしれませんが、いやいや、女川にはいっぱい美味いものがあるんだからしょうがない。

そして、楽しい連中がいるからしょうがない。

日曜日にイベントに来てくれたみなさん、どうもありがとう。

おかげさまで、祭りの来場者は、1万人。女川町の人口を超えたそうです。

祭りに来られなかった人も、機会があれば、ぜひ女川に足を運んでみてください。町の様子にショックを受ける人もいるかもしれませんが、それ以上に、テレビでは伝わらないなにかを感じるはずです。

それは、人間にとって、とても大事なもののように思います。

私も嬉野さんも、そして一緒に行った四宮さんも、女川の町の写真は一枚も撮りませんでした。

私たちにとっては意味がないと思ったからです。写真を見せても何も伝わらないと思ったから。

私は、今はさら地のこの町が、これからどうなっていくのか、そこにすごく興味があります。それは、おおげさではなく、世界中の人類が注目していることだと思います。飲みながら、こんなことを言いました。

「キミらは間違いなく、世界のトップを走っているんだよ。人類がこれからどうやって生きていくのか、どうやって立ち直っていくのか、それをみんなが見ている。ものすごい犠牲を払っているんだから、それを利用しない手はない。したたかに、したたかに、やっていこうよ」

町のある人は言いました。

「これまでの1年は、ある意味、みんな平等だったと思います。みんな、それぞれに被害を受けた。でもここから、先に行こうとする人と、それに追いつけない人との差が生まれてくると思います。追いつけない人を放っておいて先に行ってはいけない。そこも取り込んでいかなければいけない。それがたぶん、これからの問題になってくる。そこが一番難しいでしょう。だって、本来なら100年かかって作る町を、10年ぐらいでやろうとしてるから、問題もきっと大きい」

とても冷静な視点だと思いました。

「でも、おれらが先に行かないと何も始まらんよ。おれは先に行くことを考える」

別の人は、そう言いました。

また、女川町に行こうと思います。この町がどうなっていくのか、この町の人々がどうやっていくのか、見ていきたいと思います。でまた、いいだけ一緒に酒を酌み交わしたいと思います。


さささ、では!今夜10時に、ユーストリームでお会いしましょう。


あ、追伸。わたくし藤村が、札幌オオドオリ大学(本当の大学ではなく、市民が自由に参加できる生涯教育を目的としたもの)で、講座を開きます。

2050年の札幌をどんな街にしたいか、というようなことを割りと具体的に考えていこうという講座です。北大の先生や、いろんな方と話をし、受講生のみなさんと一緒に、札幌の設計図を勝手に作って、なんならそれが実現するようにしちゃおうや、というものです。ただ今、受講生募集中。詳しくは「札幌オオドオリ大学」のホームページへ。


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4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間だけでございます。

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★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/


(00:20 藤村)
3月20日火曜日、春分の日。札幌は朝から大雪でございます。

藤村でございます。

さささささ!いよいよ今夜0時をもちまして、DVD「ヨーロッパ・リベンジ」のローソンでの受け渡しが解禁となります。

それに先立つ午後10時から、恒例となりましたユーストリームでの生中継を、今回は札幌HTBのどうでしょう編集室から、藤村、嬉野でお送りいたします。

DVDとともに発売開始となる「どうでしょうフィギュア」の詳細なるご紹介をはじめとして中身の濃いお話をですね、2時間あまりビシッと生中継いたします。

ツイッターでの質問、感想なども、生中継の中で紹介してまいりますので、ぜひともご利用くだされ。

そして!本日の生中継の中で、「重要な発表」もございますぞ。お見逃しなく。


さて、昨日の夜、我々は宮城県女川から帰ってまいりました。

仙台空港まで、女川の蒲鉾屋「高政」の高橋くんがわざわざ車で送ってくれて、「じゃあ、ありがとう」って搭乗口に行こうとしたら、「いや、ちょっと寂しいんで・・・」と高橋くんが言うので、嬉野さんが「じゃあね、ちょっとお茶でも飲みましょうかね」と、空港のレストランに入って、搭乗時間まで話をしておりました。

「いやぁーなんか、夢のような3日間でした」と、彼は言っておりました。

3日前の土曜日。

同じように高橋くんが仙台空港まで迎えに来てくれて、我々は女川に向かいました。

空港から、無料になっている高速道に乗り、石巻のインターで降りました。

「ちょっと遠回りになりますが、海岸沿いの道をいきます」

そう言って、車は石巻の被災地を走りました。そこには、テレビで見た通りの風景があって、1階部分が筒抜けになっているような家が点在しており、いまだに建て直しのできていない、壊れたスーパーマーケットがありました。

悲しいとか、言葉が出ないとか、私にそういう感情はなく、「元々ここにはなにがあったの?」というようなことを高橋くんに聞きました。それに対して高橋くんも、「あ、ここにはびっしり家が建っていました」というようなことを普通に答えておりました。

やがて車は、女川町に入りました。女川町に入ったあたりの家は、先ほど見た石巻の沿岸部とは違って、普通に家が建っている感じでした。

「ここらへんは変わってないの?」
「そうですね、ここらへんは床上浸水ぐらいだったので」
「あぁーそうなんだ」

でもなんだか、車窓から見る海岸の風景に違和感のようなものを感じたので、聞きました。

「なんか、海がやたらと近い感じがするんだけど・・・これって、昔からこんな感じ?」
「いや、全然変わりました。土地が1メーター以上沈んだんで、海がすぐそこまで来ちゃいましたね」
「おーやっぱりそうなんだねぇ・・・」
「道路もだから、かさ上げしてるんですよ。そうしないと満潮で道路が沈んでしまうんで」

「なるほどねぇ」なんて思いながら、しばし、異常に近過ぎる海岸線を眺めていると、そのうち車は海岸線を離れ、山道に入りました。

「あの、こっからちょっと、風景がガラリと変わるんで・・・」

と、高橋くんが言い、車は山道を下りはじめました。

するといきなり目の前に、なにもなくなった、さら地の、女川の町が見えました。

「あー・・・」

ショック、というのはなかったです。

だって、テレビで何度も見たことのある風景ですから。港の近くの茶色い「マリンパル女川」という建物が、壊れたまま残っており、その隣にあった3階建てのビルが横倒しになっていて、それはテレビで何度も見たことのある風景だったから。

夕暮れの迫った女川の、さら地の中に車が降りていき、そして、高台にある病院の駐車場まで再び坂道を登り、車を停めました。

車を降りて、駐車場から、さら地となった女川の町を眼下に一望してみる。

実際にそこに立ってみると、テレビの映像で見ていたものとはまるで違う、「なにか」を感じました。

その「なにか」は、たぶん人それぞれで違うと思います。でも、実際に立ってみると、「テレビの映像とは違うなにか」が、それぞれに感じるはずです。

私の場合はまず、「女川の町って、狭いんだなぁ」と感じました。

そして、「こんな狭いところに、何千人もの人たちが住んでいたんだなぁ」と思いました。

「人間は、そういうところに町を作って暮らしているんだなぁ」と。

「人々が作り出す町」というものの、なにか根源的なカタチを見ようとしていました。

私は、元の女川の町の様子を知らないので、眼下に広がっているさら地となった現在の様子から、元の町の姿を想像してみました。

「海沿いには市場があって、たぶんあそこが交差点で、その周りにはたぶんお店が立ち並んでいて・・・」と。

そうやって、想像の中で、女川の町を組み立てていました。

すると高橋くんが不意に、「津波はこの病院の1階まで来たんですよねぇ」と言いました。

そこで初めて愕然としました。

「いや、ウソだろう?」って。

だって、海は、はるか眼下にあるんです。

「でも、ほら、あのマリンパルの屋上まで津波が来たんですよ。あそことここって、ほぼ同じ高さでしょう」

確かに。確かにそうなんです。でも、どう考えても、眼下に見える海がここまで来るっていうことが、想像できないんです。

それは、テレビの映像ではわからない、実体でした。

実際にそこに立ってみると、「どう考えてもあり得ないこと」が、「実際にここで起きた」ということが、いやおうなくわかります。

恐怖、とかではなく、畏れというか、太刀打ちできないなにか、というか・・・。


「あのとき、実際にどんなことを感じたんですか?」

私は遠慮なく、いろんな人に聞きました。

「あー・・・・って言うしかないんですよね。あーあーって」

「あとは、笑っちゃうんですよね。信じられなくて。いやいや、おいおいって、笑いながら、泣いてるんですよね」

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そうやって、なにもできないうちに、いろんなものを失ってしまう。

「そういう絶望的なところから、どのぐらいで立ち直るというか、次のことを考え始めるんですか?」

「2か月ぐらい経ってからかなぁ」
「おれはもう3日目ぐらいから動こうと思ってた」
「おれは年が明けてから、ようやくだな」

人それぞれに立ち直るまでの時間は違い、まだまだそんな気持ちになれない人もいるだろうけれど、でも、人間は「またここから」やり直そうとするんです。

また、あの狭い土地に、ひしめきあって暮らしたいと思うんです。

それは、知性とか理性とか感情とか、そういうものではなく、どうしようもなく沸き上がってくる人間の「本能」ではないか、と思ったんです。

太刀打ちできない自然に対して、人間はまず本能で向かっていくしかない。

「生きてく」「暮らしていく」という単純な本能に目覚めた者が、次に、知性と理性を使って、またここで生きていくための方策を立ち上げていく。

「今はもう、やるしかないですもんね。絆とかなんとか、いろいろ言ってるけど、そんなものはもう、言われなくてもわかってんです。次のことを考えていかないと」

今回、女川で復興イベントを立ち上げた人たちの口から、「悲しい」という言葉は一度も聞きませんでした。感情を表す言葉で、彼らが口にしていたのは「うれしい」、という言葉だけでした。

彼らはもう、「またここで暮らしていく」という本能に突き動かされて、そのための方策に邁進している。

日曜日に開かれたイベントは、女川の若手たちが企画し、自分たちで実行した「祭り」でした。

「祭り」という言葉に、拒絶反応を起こした人たちも少なからずいたそうです。それでも彼らは「祭り」と銘打ったイベントを、女川でやった。

町民の10人にひとりが命を失った女川の町で、彼らは、1年後に「祭り」をやったんです。

それは、多くのテレビが、あれから1年経った今でも、震災という「事実」と、それに対する人々の悲しみややるせなさという「感情」ばかりを押し出して、余計な気遣いしかコメントできない報道とはまったく違い、人間が自然に立ち向かう本能に根ざした、力強く、正直なイベントでありました。

「女川町商店街復幸祭」という名に刻まれている「商店街」は、まださら地のままです。まだ復興していません。でも、会場となった総合運動場には、日曜日、数多くのテントが並び、そこに女川町の名産品が並びました。

祭りの開催宣言をした若き女川町長は、満面の笑みでこう言ったそうです。

「ご来場のみなさま、本日はお時間の許す限り、そしてご予算の許す限り!祭りをお楽しみください」

その的を得た言葉に、みんな笑ったそうです。

女川町にあった「秀光堂」というレコード屋が、テーブルをひとつ出し、そこに、ゲストに呼ばれた樋口さんのCDを並べました。

樋口さんはステージの上から、こう言っておりました。

「僕は普段、CDを買ってくださいなんて言わないけど、今日は言います。買ってくれ」

テーブルの前に行列ができ、この日、秀光堂は復活の第一歩を刻みました。

「とにかく人に来てもらって、女川を見てほしい。そこから始めないと、なにも始まらない。女川に人が来なくなったらダメになる」

そのわかりやすい趣旨に賛同し、我々は女川に行きました。

初日の夜は、女川の工務店の敷地に建てられたコンテナの居酒屋で、イベントの実行委員会の連中といいだけ酒を飲み、バカ笑いをし、2日目の夜は、石巻の「BAMBOO SHOOT」という店で、「女川さいがいFM」のスタッフたちと、店のマスターといいだけ酒を飲み、最終日は、「高政」でビールを飲みながら蒲鉾を食い、昼メシは港の「おかせい」で、毛ガニと特上寿司をいただいて、満腹で仙台空港に向かいました。

被災地に行って、こんだけ満喫してきた我々は、「不届き者!」と呼ばれるかもしれませんが、いやいや、女川にはいっぱい美味いものがあるんだからしょうがない。

そして、楽しい連中がいるからしょうがない。

日曜日にイベントに来てくれたみなさん、どうもありがとう。

おかげさまで、祭りの来場者は、1万人。女川町の人口を超えたそうです。

祭りに来られなかった人も、機会があれば、ぜひ女川に足を運んでみてください。町の様子にショックを受ける人もいるかもしれませんが、それ以上に、テレビでは伝わらないなにかを感じるはずです。

それは、人間にとって、とても大事なもののように思います。

私も嬉野さんも、そして一緒に行った四宮さんも、女川の町の写真は一枚も撮りませんでした。

私たちにとっては意味がないと思ったからです。写真を見せても何も伝わらないと思ったから。

私は、今はさら地のこの町が、これからどうなっていくのか、そこにすごく興味があります。それは、おおげさではなく、世界中の人類が注目していることだと思います。飲みながら、こんなことを言いました。

「キミらは間違いなく、世界のトップを走っているんだよ。人類がこれからどうやって生きていくのか、どうやって立ち直っていくのか、それをみんなが見ている。ものすごい犠牲を払っているんだから、それを利用しない手はない。したたかに、したたかに、やっていこうよ」

町のある人は言いました。

「これまでの1年は、ある意味、みんな平等だったと思います。みんな、それぞれに被害を受けた。でもここから、先に行こうとする人と、それに追いつけない人との差が生まれてくると思います。追いつけない人を放っておいて先に行ってはいけない。そこも取り込んでいかなければいけない。それがたぶん、これからの問題になってくる。そこが一番難しいでしょう。だって、本来なら100年かかって作る町を、10年ぐらいでやろうとしてるから、問題もきっと大きい」

とても冷静な視点だと思いました。

「でも、おれらが先に行かないと何も始まらんよ。おれは先に行くことを考える」

別の人は、そう言いました。

また、女川町に行こうと思います。この町がどうなっていくのか、この町の人々がどうやっていくのか、見ていきたいと思います。でまた、いいだけ一緒に酒を酌み交わしたいと思います。


さささ、では!今夜10時に、ユーストリームでお会いしましょう。


あ、追伸。わたくし藤村が、札幌オオドオリ大学(本当の大学ではなく、市民が自由に参加できる生涯教育を目的としたもの)で、講座を開きます。

2050年の札幌をどんな街にしたいか、というようなことを割りと具体的に考えていこうという講座です。北大の先生や、いろんな方と話をし、受講生のみなさんと一緒に、札幌の設計図を勝手に作って、なんならそれが実現するようにしちゃおうや、というものです。ただ今、受講生募集中。詳しくは「札幌オオドオリ大学」のホームページへ。


【お知らせ】
この春、横浜そごうさんで、
北海道物産展が開催!
HTBも以下の日程で参加します!
4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間だけでございます。

★どうでしょう新作がついに関東圏で放送開始!
東京MX‐TVでは3月11日から!
千葉テレビさんでは4月4日から!


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http://news.dengeki.com/premium/suidou/


(18:28 藤村)
2012年3月16日(金)

嬉野です。

えぇ奥さん。
先ごろ、うちで売り出しました「水曜どうでしょうアクリルキーホルダー」を思わず買いたくなる宣伝のページを、当HPで昨日より魅力的に開設いたしております。
なにとぞパソコンからゾロゾロとお越しくださいませ。

早くもそのページをご覧になりまして、
買ってみようかしら的な奥様方が続出であります。
(買ったかどうかまではねぇ、知りませんですが)

それと、来週20日の夜22時より、藤村さんと嬉野さんによります「今期もまた、みなさんのお陰でDVDが無事に発売できましたぜ」的なユーストリーム中継をやりますよ、と、言っておきますよみなさん。

さらに奥さん。
ただ今、電撃ネットワークで連載中でありますところの「悩むだけ損!」というね、世間様からのお悩みに、うちの藤村さんと嬉野さんが答えるという、たいそう無謀ながら興味深い読み物が、この度まとまって一冊の本になりました。今月の24日から発売でありますので、恐いもの見たさの方も是非どうぞ。アマゾンさんでも買えます!奥さん買ってみたらいじゃないのよ!

それでは、本日も各自の持ち場で奮闘願います。

もちろん18日の日曜日には女川へ行って参ります。
奥さん!女川で会おうじゃないのよ!

【お知らせ】
18日(日)藤村、嬉野、そして樋口了一さんも!宮城県女川町におじゃまいたします。

「女川町商店街復幸祭」のイベント告知サイトがオープンしました。

http://serve-it.jp/onagawa/index.html

1.皆さん十分暖かい格好で
2.時間は早めで
3.車がある方はマイカーで、あるいは友達同士乗り合いで

お越しいただければと思っています。

・・・とのことでございます。

3月12日月曜日。藤村でございます。

昨夜、東京MXテレビさんで、最新作の放送がスタートいたしました。

関東圏では順次、放送がスタートいたします。

たいへんお待たせいたしました。

1年ほどお待ちになりましたな。

昨年の今ごろは、東北各地で新作の放送がスタートした時期でありました。

1年が経ちましたか。


あの日、宮城県の女川では、こんなことがあったそうです。

高台に、車に乗った人々が続々と避難してきた。真っ暗闇の中で過ごす最初の夜。周りにいる人たちに向かって、ひとりの男が、こう叫んだと。

「ここをキャンプ地とする!」

周りにいるみんなは、思わず笑ってしまったそうです。

その男は、高橋という名で、彼の家は女川で「高政」という蒲鉾屋をやっています。「高政」の工場は、津波の被害が他よりも少なく、浸水はしたけれど、動かせるラインがあった。そして、工場の冷蔵庫には、蒲鉾の材料になるすり身が大量にあった。それで「高政」は、震災の数日後にはそのラインを動かし、どんどん蒲鉾を作り、町の人たちにどんどん配ったそうです。

その高橋という男が、わざわざ札幌まで足を運び、我々に会いに来てくれました。

今週末、18日の日曜日に女川でイベントがあるそうです。そのイベントに、来てくれないかと。

彼は、今回のイベントの意味をこう話してくれました。

「もう、野次馬でも物見遊山でも構わないから、今は、とにかくたくさんの人に女川に来てほしいんです。両親を亡くした女子高生の子は、これまで取材が来るたびに逃げていました。でも今は、自分から『取材を受けます』と言っています。ぼくも、テレビだろうが雑誌だろうが、それがどういうふうに扱われようと、取材を受けていこうと思います。だって、一番怖いのは、女川を忘れられてしまうことですから。忘れられて、誰も来なくなったら、復興なんかできませんから」と。

それを聞いて、嬉野さんは言いました。

「だったら、私のような人間でも、ようやく被災地に行けます。自分は震災の被害を受けていない人間だから、あなたたちの気持ちはいくら想像したってわからない。『わかったつもり』すらできない。だから、一緒に悲しむこともできない。気の利いた言葉をかけることもできない。それどころか不謹慎なことを言ってしまうかもしれない。そんな人間だから、震災の話も簡単にはできない。でも、こんな人間でも来ていいと言ってくれるのなら、私もようやく行けます」と。

日曜日、私と嬉野さんで女川に行きます。

東北の諸君。遅くなりました。

すぐに行けず、申し訳ありませんでした。

諸君はもう、十年以上も前から我々の番組を知っていてくれました。ずいぶん前から我々の友だちでいてくれておりました。

でもこの番組は北海道で生まれたから、諸君は、幼なじみの友だち、という間柄ではないでしょう。でも私は、北海道からやって来た転校生に、最初に声をかけてくれた、涙が出るほどうれしい友だち、そんな間柄であると、勝手に思っています。

キミたちは、この1年を、どう過ごしていましたか。

ずいぶん遅くなってしまったけれど、勝手に親友と思っているキミたちに、ようやく会いに行こうと思ってます。

一緒に、酒でも飲みましょう。

日曜日に女川の総合運動場で開かれるイベント「女川町復幸祭」でお会いしましょう。

イベントの詳細は、まもなく告知されるそうですので、お待ちください。


高橋くんの家は、その後、「女川で生き残っている数少ない会社ですから」と、女川の人たちを新たに従業員に雇っているそうです。無理をして。

でも、「高政」が作っている蒲鉾は、バカみたいに肉厚で、バカみたいに美味しいです。女川に来て、たくさん食べたほうがいいですよ、これは。


【お知らせ】
この春、横浜そごうさんで、
北海道物産展が開催!
HTBも以下の日程で参加します!
4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間だけでございます。

★どうでしょう新作がついに関東圏で放送開始!
東京MX‐TVでは3月11日から!
千葉テレビさんでは4月4日から!


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http://news.dengeki.com/premium/suidou/


(11:17 嬉野)
【お知らせ】
18日(日)藤村、嬉野、そして樋口了一さんも!宮城県女川町におじゃまいたします。

「女川町商店街復幸祭」のイベント告知サイトがオープンしました。

http://serve-it.jp/onagawa/index.html

1.皆さん十分暖かい格好で
2.時間は早めで
3.車がある方はマイカーで、あるいは友達同士乗り合いで

お越しいただければと思っています。

・・・とのことでございます。



3月12日月曜日。藤村でございます。

昨夜、東京MXテレビさんで、最新作の放送がスタートいたしました。

関東圏では順次、放送がスタートいたします。

たいへんお待たせいたしました。

1年ほどお待ちになりましたな。

昨年の今ごろは、東北各地で新作の放送がスタートした時期でありました。

1年が経ちましたか。


あの日、宮城県の女川では、こんなことがあったそうです。

高台に、車に乗った人々が続々と避難してきた。真っ暗闇の中で過ごす最初の夜。周りにいる人たちに向かって、ひとりの男が、こう叫んだと。

「ここをキャンプ地とする!」

周りにいるみんなは、思わず笑ってしまったそうです。

その男は、高橋という名で、彼の家は女川で「高政」という蒲鉾屋をやっています。「高政」の工場は、津波の被害が他よりも少なく、浸水はしたけれど、動かせるラインがあった。そして、工場の冷蔵庫には、蒲鉾の材料になるすり身が大量にあった。それで「高政」は、震災の数日後にはそのラインを動かし、どんどん蒲鉾を作り、町の人たちにどんどん配ったそうです。

その高橋という男が、わざわざ札幌まで足を運び、我々に会いに来てくれました。

今週末、18日の日曜日に女川でイベントがあるそうです。そのイベントに、来てくれないかと。

彼は、今回のイベントの意味をこう話してくれました。

「もう、野次馬でも物見遊山でも構わないから、今は、とにかくたくさんの人に女川に来てほしいんです。両親を亡くした女子高生の子は、これまで取材が来るたびに逃げていました。でも今は、自分から『取材を受けます』と言っています。ぼくも、テレビだろうが雑誌だろうが、それがどういうふうに扱われようと、取材を受けていこうと思います。だって、一番怖いのは、女川を忘れられてしまうことですから。忘れられて、誰も来なくなったら、復興なんかできませんから」と。

それを聞いて、嬉野さんは言いました。

「だったら、私のような人間でも、ようやく被災地に行けます。自分は震災の被害を受けていない人間だから、あなたたちの気持ちはいくら想像したってわからない。『わかったつもり』すらできない。だから、一緒に悲しむこともできない。気の利いた言葉をかけることもできない。それどころか不謹慎なことを言ってしまうかもしれない。そんな人間だから、震災の話も簡単にはできない。でも、こんな人間でも来ていいと言ってくれるのなら、私もようやく行けます」と。

日曜日、私と嬉野さんで女川に行きます。

東北の諸君。遅くなりました。

すぐに行けず、申し訳ありませんでした。

諸君はもう、十年以上も前から我々の番組を知っていてくれました。ずいぶん前から我々の友だちでいてくれておりました。

でもこの番組は北海道で生まれたから、諸君は、幼なじみの友だち、という間柄ではないでしょう。でも私は、北海道からやって来た転校生に、最初に声をかけてくれた、涙が出るほどうれしい友だち、そんな間柄であると、勝手に思っています。

キミたちは、この1年を、どう過ごしていましたか。

ずいぶん遅くなってしまったけれど、勝手に親友と思っているキミたちに、ようやく会いに行こうと思ってます。

一緒に、酒でも飲みましょう。

日曜日に女川の総合運動場で開かれるイベント「女川町復幸祭」でお会いしましょう。

イベントの詳細は、まもなく告知されるそうですので、お待ちください。


高橋くんの家は、その後、「女川で生き残っている数少ない会社ですから」と、女川の人たちを新たに従業員に雇っているそうです。無理をして。

でも、「高政」が作っている蒲鉾は、バカみたいに肉厚で、バカみたいに美味しいです。女川に来て、たくさん食べたほうがいいですよ、これは。


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(16:26 藤村)
3月12日月曜日。藤村でございます。

昨夜、東京MXテレビさんで、最新作の放送がスタートいたしました。

関東圏では順次、放送がスタートいたします。

たいへんお待たせいたしました。

1年ほどお待ちになりましたな。

昨年の今ごろは、東北各地で新作の放送がスタートした時期でありました。

1年が経ちましたか。


あの日、宮城県の女川では、こんなことがあったそうです。

高台に、車に乗った人々が続々と避難してきた。真っ暗闇の中で過ごす最初の夜。周りにいる人たちに向かって、ひとりの男が、こう叫んだと。

「ここをキャンプ地とする!」

周りにいるみんなは、思わず笑ってしまったそうです。

その男は、高橋という名で、彼の家は女川で「高政」という蒲鉾屋をやっています。「高政」の工場は、津波の被害が他よりも少なく、浸水はしたけれど、動かせるラインがあった。そして、工場の冷蔵庫には、蒲鉾の材料になるすり身が大量にあった。それで「高政」は、震災の数日後にはそのラインを動かし、どんどん蒲鉾を作り、町の人たちにどんどん配ったそうです。

その高橋という男が、わざわざ札幌まで足を運び、我々に会いに来てくれました。

今週末、18日の日曜日に女川でイベントがあるそうです。そのイベントに、来てくれないかと。

彼は、今回のイベントの意味をこう話してくれました。

「もう、野次馬でも物見遊山でも構わないから、今は、とにかくたくさんの人に女川に来てほしいんです。両親を亡くした女子高生の子は、これまで取材が来るたびに逃げていました。でも今は、自分から『取材を受けます』と言っています。ぼくも、テレビだろうが雑誌だろうが、それがどういうふうに扱われようと、取材を受けていこうと思います。だって、一番怖いのは、女川を忘れられてしまうことですから。忘れられて、誰も来なくなったら、復興なんかできませんから」と。

それを聞いて、嬉野さんは言いました。

「だったら、私のような人間でも、ようやく被災地に行けます。自分は震災の被害を受けていない人間だから、あなたたちの気持ちはいくら想像したってわからない。『わかったつもり』すらできない。だから、一緒に悲しむこともできない。気の利いた言葉をかけることもできない。それどころか不謹慎なことを言ってしまうかもしれない。そんな人間だから、震災の話も簡単にはできない。でも、こんな人間でも来ていいと言ってくれるのなら、私もようやく行けます」と。

日曜日、私と嬉野さんで女川に行きます。

東北の諸君。遅くなりました。

すぐに行けず、申し訳ありませんでした。

諸君はもう、十年以上も前から我々の番組を知っていてくれました。ずいぶん前から我々の友だちでいてくれておりました。

でもこの番組は北海道で生まれたから、諸君は、幼なじみの友だち、という間柄ではないでしょう。でも私は、北海道からやって来た転校生に、最初に声をかけてくれた、涙が出るほどうれしい友だち、そんな間柄であると、勝手に思っています。

キミたちは、この1年を、どう過ごしていましたか。

ずいぶん遅くなってしまったけれど、勝手に親友と思っているキミたちに、ようやく会いに行こうと思ってます。

一緒に、酒でも飲みましょう。

日曜日に女川の総合運動場で開かれるイベント「女川町復幸祭」でお会いしましょう。

イベントの詳細は、まもなく告知されるそうですので、お待ちください。


高橋くんの家は、その後、「女川で生き残っている数少ない会社ですから」と、女川の人たちを新たに従業員に雇っているそうです。無理をして。

でも、「高政」が作っている蒲鉾は、バカみたいに肉厚で、バカみたいに美味しいです。女川に来て、たくさん食べたほうがいいですよ、これは。


【お知らせ】
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HTBも以下の日程で参加します!
4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間だけでございます。

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(15:07 藤村)
2012年3月9日(金)

嬉野です。

今週は、いろんな用事で東京へ出張しておりました。

その中のある日ですが、
NHKの放送文化研究所さんの研究発表とシンポジウムを聞きに行ってまいりまして。

内容は昨年三月の東日本大震災とメディア報道というテーマだったのですが。

私もマスメディア的なところで仕事をしながらも、
そういう公の場で働くような人にありそうな高い意識がまったくないのが私の有りようでもありますが、

さりとて公のことについて考えないわけでもない。

ですから良い機会と思いましたので、
聞きに行ったのでありましたが、

そのシンポジウムで折に触れ、なされる、
あの日の報道のありようを振り返る場面で
映し出されるあの日の津波映像を見るたびに、

どうしても涙が滲んでしまうのでした。

当たり前と言えば当たり前なのですが、
でも、私はあの震災で、
なんの被害も受けてはいないのです。
直接的な悲しみの記憶は無いのです。

それでも、あの日もそうであったように、
海面が盛り上がり押し寄せていき、
堤防を越えると氾濫しながら、
営々と作り上げられてきた人の営みと
懐かしい歴史の染み着いた故郷を
紙屑や木切れのように破壊し押し流してしまった、
あの津波の映像を目にすると、
ただじんわりと泣けてくるのです。

私はどちらかといえば察しも悪く、
他人の気持ちを思いやる心にも欠ける、
自分の経験したことしか分からない経験値の低い男です。

そんなだから、震災のことについて書くことも、
とんちんかんなことを書いてしまいそうで、
どこか、はばかられてしまい、
ここの日記が滞りがちな理由のひとつには、
やはりあの震災のもたらした取り返しのつかない不幸があるのだとも思います。

あの自然災害が多くの人にもたらした、
取り返しのつかない不幸を前にして、
それでも私は、そこから行動に移すべき何ものもイメージできず、今も昨日までと変わらぬ世界に住んでいるのだと思います。

ですから、
変わらず間抜けなことしか思いつかずじまいの日々で、

だからといって、
あの日の震災が忘れられるわけもなく、
あの日の津波の映像を見るとじんわりと泣けてくるのかなと思いながら見ておりました。

でも、一方では、
どうして津波の映像を見るたびに、じんわりと泣けてくるのだろうとも怪しみながら見てもいたのです。

つまり、私の心の中の、
何が反応しているのだろうかということです。

シンポジウムでは、
メディアの報道が、どうすれば、避難誘導の一助になれるのか、あの日、どうしてその一助となれなかったのか、そこをパネリストのみなさんはそれぞれに考えておられました。

その時、あの日の振り返りとして、
大洗町の例が紹介されました。

大洗町では、あの津波の日、
町長さんが、庁舎の窓から海を見た時、
沖合から大きく盛り上がった波がこちらへ押し寄せてくるのを見て激しい危機感を覚え、
防災無線で、

「緊急!避難命令!」

と、マニュアルにない「命令」という強い調子の言葉を言わせたのだそうです。

そして、
高台に避難して「ください」ではなく、

「至急、高台へ避難せよ」

と、日頃まったく使わない命令口調で避難勧告をしたのだそうです。

その常ならぬ強い口調に町民は覚醒し、
これはただごとではないと、
ちょうど地震の揺れで散らかった家の片づけをしていた人ばかりだったけれど、防災無線から発せられる日頃耳にしない強い調子の言葉に瞬発的に身の危険を感じ、大急ぎで高台に避難したのだそうです。

「命令なんてね、あの聞きなれない口調で言われなければきっと逃げようとしなかったと思うよ、だって、避難せよってね、言うから、これはきっとただごとではないんだってね、びっくりしてね」

と、そんなニュアンスのことを地元の人たちが口々に言っておられました。

その大洗町の例を受けて、
NHKでも巨大災害時の報道で、
避難を呼びかける時は、
強い口調で呼びかけることにしたのだそうです。

「海岸付近にいる人は、直ちに避難すること。
可能な限り高いところへ避難すること。
逃げる際には、近くの人にも避難を呼びかけながら逃げること。」

NHKが訓練用につくったVTRが会場で流されました。
その映像を見ながら上記した避難勧告の文言を、アナウンサーが強い口調で読み上げるのを聞くうちに、ぼくの中にも非常の気持ちが湧きあがり、逃げなければ!という強く切迫した思いが湧いてくるのでした。

そうして、アナウンサーの口から繰り返し発せられる、
常にない切迫した「逃げること」という言葉を聞きながら、そこでもやはり、じんわり涙が滲んでくるのです。

どうしてだろうと思いました。

切迫した強い口調でぼくたちに向けて

「逃げること」

と、呼びかけ続ける者があるのです、

「逃げること。ただちに出来るだけ高い場所へ避難すること」

そう呼びかけられながら、
逃げなければという気持ちが湧いてくればくるほど、
じんわり泣けてくるのです。

その時、ぼくは思いました。
おそらく、
ぼくは、そこに自分たちの運命を見たのだろうと。

「逃げること!」

この切迫した呼びかけを受けて、
ぼくの目からじんわり涙が滲むのは、
それがぼくらの運命だからです。

そうなのかもしれない、
いや、おそらくそうなのだと、ぼくは思うのです。

おそらく、
ぼくらは逃げていかなければならない身の上なのです。
懸命に、安全な場所を目指して、
みんなに声を掛け合って
逃げていかなければならない身の上なのです。

今、この時代にこの列島の上に身を寄せ暮らす者たちは、
おそらく、そういう運命の上にあるのです。

そして、そうであることを、
ぼくらの身体は既に知っている。

そういうことではないのでしょうか。

この地球の地核内部で行われている活動の、
何かが今までとは変わってしまった、

もうぼくらが、よく知っている穏やかな地球ではなくなり始めている。おそらく、もうのんきな時代ではなくなっていく。

そのことを、ぼくらの本能は既に察知している。

それでも、この社会には、平和と安全と豊かさは尽きることなく求められると思い込むムードだけが今も惰性のようにあるのです。

レストランへ入っても、
飛行機に乗っても、
ぼくらへ向けられる言葉は、
辞を低くした敬語と丁寧語ばかりです。

テレビをつけようとも、ラジオをつけようとも、
役場へ行こうと、食堂に入ろうと、
誰も彼もが、
ぼくらの安全と安心と平和と安寧を気遣ってくれて、
平身低頭してくれるのです。

そして、そんなこの時代のムードの中に暮らしていて、
ぼくらは、どことなく、違和感を感じてもいるはずです。

それは、本当は、そんな悠長なムードの中に浸っていられるような時代では、既にないからです。

地球は、ぼくらが知る神話や言い伝えや、
SFの世界の中での出来事とばかり想っていた
荒々しい姿を、ぼくらの目の前でリアルに見せつけはじめる。

だから、その運命に呼びかけるシグナルを外部から受け取ると、身体内部にある本能が「そうだ」と反応する、

そうしてまるでデジャビュのように
まだ見ぬ未来を、
瞬間的に目の当たりにイメージしてしまう。

だから涙が滲んでしまう。

そういうことではないでしょうか。

信じられないことは、
やはり、ぼくらの眼の前で起きるのです。

ぼくらはその信じられない光景を
目の当たりにしなければならない存在の者として、
この列島の上に、今、生きているのです。

それがぼくらが生きている今という時代なのです。

そのことをぼくらの本能は、もう既に知っている。
だから、

「逃げること!」

と、強い調子で発する者の呼びかけの中に
「必死の想い」を感じる時、
その必死さがシグナルとなり、
ぼくらの心の奥底にある本能につながる回路を開き、
そこに既にある必死の想いが立ち上がり、

「そうだ」

と、必死に応答するのです。

その時、ぼくらは、
本当は、自分たちが、
「必死」の運命の中にいるのだという本能に覚醒する。

ぼくらの祖先が、アフリカに誕生してから、
その故郷を出て、世界中に散っていく数万年の旅の始めに獲得していたものは、他人の気持ちを察して手助けをすることができるという、他の生物にはなかった特殊能力だったそうです。

他人からの要請がなくとも、
彼や彼女の気持ちを未然に察して手助けが出来るという、
人類だけが持つ、その特殊な能力が、
手助けの後に獲物も水も分け与えるという
穏やかで優しい気持ちに祖先たちを自然と向かわせ、
困難な環境にあっても、
他人と肩を寄せあい生きることの中に、
孤独で生きるときには無かった、
穏やかさと朗らかさと幸福感に満ちた居心地の良さというものがあることを教えてきたのだと思うのです。

進化の歴史とは、変わりゆく自然環境に適応してきた歴史であったと思います。

いってみれば、それが人生の姿であるようにも思えます。

流れに揉まれても、それをみんなで乗り切ろうとする。

困難な時代が始まったのであれば、
ぼくらは、もう一度、旅の始まりに立った数万年前の祖先たちがそうしたように、他人の気持ちを察して手助けをし、ほんの少しの獲物や水を分けあいながら、ともに穏やかな気持ちで助け合いながら生きていこうとするはずです。

なにがどう変わろうが、
それを乗り切って生きていこうと必死になるのが、
ぼくら生き物の本来の姿であり、
人類の本当の有りようなのだと、
ぼくは思うのです。

長くなりましたね。
もちろん私見です。
なんの根拠も無い思いつきです。

それではまた来週。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。

解散。

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(17:07 嬉野)
2012年3月3日(土)

嬉野です。

えぇ奥さん方にご連絡。
少しばかり先の話でございますがね、

この春、横浜そごうさんで、
北海道物産展が開催の運びとなりまして、

これにHTBも、のこのこ出店させていただきますので、
皆様方へお礼方々、ご案内をさせていただいております。

物産展の開催期間は、約2週間ほどあるのでございますが、
HTBがしゃしゃり出ますのは前半でだけでございます。

具体的な日程で申しますと、

4月25日(水)〜4月30日(祝)までの6日間でございます。

まだまだ先の話ではございますが、
お近くへお越しの節は、
どうぞたくさんのお運びのありますよう、
願いあげますです。

さぁ、ということでねぇ、
本日は桃の節句でありますね。
女の祭でございますよ。

雛人形をかざりまして、
白酒にひなあられ、
女性の皆様が、天下晴れて奔放になさってよろしい日でございますねぇ、うちのトイプーのラッキーちゃんの誕生日でもございますよ。もう三歳。月日の経つのは早いものでねぇ。犬猫と申しますのは駆け抜けるように年を取って参ります。はかない、むきだしの魂のような素直な生き物でありますね。

それでは本日も各自の持ち場で奮闘願います。
解散!



【藤村さん日記メモリアルのコーナー】
2月27日月曜日。藤村でございます。

嬉野先生が日記に書かれているとおり、2月の頭に大分県の竹田に行ってまいりました。姫だるま工房の後藤さんのご実家で「味噌作りをする」というので、「そりゃおもしろそうだ」と出かけたわけです。で、実は竹田に行く前に、もうひとつ立ち寄った場所があります。記念すべき「どうでしょう」の最初の企画「サイコロの旅」(96年)で訪れた「石仏の町・臼杵」であります。

東京から深夜バス「オレンジライナー」に乗り、愛媛県の松山へ。そこで出たサイコロの目が「謎の町・臼杵」でありました。

あの当時は、フェリー乗り場から臼杵駅へ移動しただけで、町の様子はまったく見ておりませんでしたが、実はこの臼杵という町、大林宣彦監督が映画の舞台にしたほどの(「なごり雪」)実に風情のある町なのでありました。

大友宗麟が開いた臼杵城の城下町である臼杵は、時代から取り残されたような、飾り気のない静かな町並みで、その町外れの岩肌に、立派な石仏が彫られてある。町の中を流れる川の中州には、古めかしいフンドーキン醤油の本社工場が建っていて、昭和の郷愁がぷんぷん漂う。一方、この町は、豊かな豊後水道に面していて、ふぐが有名。ヒレ酒なんか飲みながら、ふぐ料理をたらふく食ったらもう、この町から離れられなくなります。

そんな臼杵の町に、竹細工の工房がありまして、そこで、「メイド・イン・ジャパン」の新たなグッズを作れないかと相談に行っておりました。

膨大な手間と時間のかかる竹細工製品は、今、ほとんど中国で作られているそうです。しかし、一朝一夕では決して真似することのできない緻密な職人技が、まだまだ日本には残っている。我々も工房で、カゴやバッグなどの竹製品を見せてもらいましたが、弁当箱のような単なる箱であっても、その細かい細工に、ついつい目を奪われてしまうのです。ついつい手に取って、ついついなで回してしまうのです。それだけの手仕事の精密さが、日本の竹製品にはある。

日本には、世界に誇る技術があります。世界に誇る独特の感性があります。コストでは決して計ることのできない、こういう手の込んだモノにこそ、日本の力が宿っているのだと、つくづく思うんです。

京都の染物屋であつらえてもらった風呂敷、東大阪の町工場で作ってもらったアクリルキーホルダー。これらの手の込んだモノ作りを通して、日本の技術を今一度見直しました。

「がんばろう日本」なんて言わなくても、ずっと、やってきているんですよ、日本は。なにもうろたえることなんかないんですよ。そう思います。

番組のグッズという見せ方で、風呂敷もアクリル製品も作りましたが、これは、できれば実際に手に取ってもらいたいけれど、とりあえずは知ってもらうだけでも十分という、きっかけ作りをしたかっただけです。日本の技術を知っていくと、なんだか、自信がわいてくるんです。

アクリルキーホルダーを作ってくれた東大阪の町工場「クリスロン」の高山さんは、どうでしょうバカです。「いやぁーこのキーホルダーが作れて良かった」「ウチの技術が役に立って良かった」と言ってくれました。

新潟沖で採掘された天然ガスから作られたという、度を超した透明度を誇る日本製のアクリルキーホルダー。その中には、原付東日本でミスターさんが実際に札幌まで運んできた「あきたこまち」のひと粒が、封じ込められております。

新潟、秋田、そして大阪の合作で作られたこちらのアクリルキーホルダーは、数量限定で現在発売中であります!

・ ・・とまぁ、発売日に宣伝活動ができなかったので、今やっておきました。

近々、嬉野先生が写真入りで、詳細なアクリルキーホルダー製造レポートを書くはずですからお待ち下さい。

ね、先生。おれが韓国行ってる間に書くって言ってましたよね?

じゃ、また明日。


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(14:28 嬉野)

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