私用で4日ほど留守にします。
週末なので多分更新は無いかと思いますし、あっても帰宅後更新できると思いますが…もし何らかのナニがありましたら、ご容赦ください。
追伸:
ようやく、『東京2泊3日70km/マレーシアジャングル探検』が買えました。
討ち入りしないダメなバカですみません。
さっき届きましたが、帰ってくるまで見れない…何というタイミング。
当サイトは個人的なアーカイブであり、HTB(北海道テレビ放送株式会社)および『水曜どうでしょう』、CUE(株式会社クリエイティブオフィスキュー)とは、一切関係ありません。
私用で4日ほど留守にします。
週末なので多分更新は無いかと思いますし、あっても帰宅後更新できると思いますが…もし何らかのナニがありましたら、ご容赦ください。
追伸:
ようやく、『東京2泊3日70km/マレーシアジャングル探検』が買えました。
討ち入りしないダメなバカですみません。
さっき届きましたが、帰ってくるまで見れない…何というタイミング。
7月24日(木)
嬉野です。
昨日の夜の地震で、ニュースが入りましてね、どうでしょうクラシックも放送が飛んだようなことになってしまいましたのでね、来週改めて再放送させていただいた上で、順次放送を進めさていただこうと思っておりますが、よろしいですか。
よろしいですね。
では、どうぞよろしく。
取り急ぎ御報告まで。
7月23日水曜日。藤村でございます。
ずいぶん留守にしておりました。
この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。
あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。
出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。
立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。
それを、脚本家がドラマに書き起こした。
書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。
登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。
探すわけです。
ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。
なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。
そうやって、すべての舞台を探し出す。
そして、そこに「人」が入る。
役者さんです。
役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。
始まったら、今度は、それをカメラで撮る。
ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。
撮り終わったら、編集。
編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。
つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。
シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。
音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。
音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。
効果音も付ける。
足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・
これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。
志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。
「ゼロ」から作る、作り出す。
そこには、何人もの人の力が加わる。
手間も時間も人手もかかる。
ドラマとはそういうものだ。
それがよくわかった。
そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。
現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。
そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。
(16:02
藤村)
7月23日水曜日。藤村でございます。
ずいぶん留守にしておりました。
この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。
あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。
出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。
立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。
それを、脚本家がドラマに書き起こした。
書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。
登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。
探すわけです。
ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。
なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。
そうやって、すべての舞台を探し出す。
そして、そこに「人」が入る。
役者さんです。
役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。
始まったら、今度は、それをカメラで撮る。
ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。
撮り終わったら、編集。
編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。
つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。
シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。
音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。
音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。
効果音も付ける。
足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・
これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。
志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。
「ゼロ」から作る、作り出す。
そこには、何人もの人の力が加わる。
手間も時間も人手もかかる。
ドラマとはそういうものだ。
それがよくわかった。
そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。
現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。
そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。
(16:18
藤村)
2008年7月22日(火)
嬉野であります。
今週の土曜日ですか、7月26日にですね、
水曜どうでしょう「オリジナル・オルゴール」が発売になりますよ奥さん。
別に買ってくださいという話ではないですよ、何かと諸物価高騰の折ですから、家計も苦しいわけですよ、どのお宅も。
ただですね奥さん。
私も行きがかりじょう、あのオルゴールとは係わりが無いわけではないのでね、書いてますよ。
私とこのオルゴールの間にどういう係わりがあるのか、
御存知の方は御存知でしょうし、
知らない人は知らない、
忘れた人は忘れてね、しまわれたでありましょうし、
言われても思い出さなかったり、思い出したり、ですよ。
はかないものでございますよ。
かいつまんで言いますとね奥さん。
このオルゴールにはマスコットフィギアが二体入っております。
つまりタコ星人のミスタさんと校長の洋さんがフィギアになってオルゴールのメロディーに合わせてくるくる回る仕掛けですよ。
手が込んでます。
石坂店長こだわりのオルゴールですよ。
で、そのこだわりのオルゴールの箱をパカッと開けますとね、
これも石坂店長こだわったところの、二体のマスコットフィギアが、うやうやしく新聞紙にくるまれて入っているわけです。
そばには、くしゃくしゃっと丸められて、クッション代わりにされてる新聞紙も見えますよ。
この、「新聞紙でこだわりのマスコットをくるむ」とか、「新聞紙を丸めてクッション代わりにする」という雰囲気も石坂店長のこだわりだったわけでね、わたしゃ、ここでこのオルゴール制作と係わるはめになったわけですよ奥さん。
話し、よく見えないでしょ。
あれですよ奥さん。
私がこだわりの新聞紙でこだわりのマスコットフィギアをくるんだ係りでした、とか、そういうことじゃないですよ。
間違えちゃだめですよ。
こだわりのくるみ方とか、そういう発想は一切ないですから。
とにかく奥さんねぇ。
店長はねぇ、こだわりのかたまりのような男なんですよ。
つまりねぇ、こだわった仕掛けのオルゴールを作って、くるくる回るマスコットフィギアにもこだわった挙句ですよ、そのフィギアをくるむ新聞紙にもこだわったらしいですよ。
この新聞紙もオリジナルなものにしなければいけない。
そうだ、どうでしょう新聞でくるもう!
そうだ!それがいいぞ!
そうすればタコ星人現る!とか見出しに踊って盛り上がるじゃないか!
じゃ誰が記事を書くんだ?
そうだ!嬉野のおっさんに頼めば好いや!
みたいなことなんですよ。多分。
最初、私、言ったんですよ彼に。
その話をされた時ね。
「やだ」って。
したら奥さんもうね、ごり押しですよ。
それでね、私も根負けしてね、書くことにしましたよ。
で、改めて聞いたんですよ、
「何文字書けばいいの?」って。店長に。
したら店長が言うんですよ。
「いっぱい」って。
私は驚きましたよ。
「いっぱいってなんだよ」
「へっ」
「大人がそんな頼み方しないだろう普通よう」
「いや、多いほど好いんですよ。字数制限なしです」
「やだよ、はっきり数字にしてくれよ、字数制限してくれよ。こっちだってもう帰りたいんだからさ。」
「いや、適当にいっぱい書いてくれれば好いんですよ」
「レイアウトしたんでしょ」
「しました」
「だったら数えれば分かるでしょ、何文字書けばはまるか」
「はい」
「じゃ、数えてよ」
「数えます」
「数えました」
「お。で?何文字だったの?」
「8千文字です」
「はっ…せん…」
「8千文字です」
「まじで」
「まじです」
「そんなべらぼうな文字数ないだろう!新聞だろ!」
「新聞です」
「一冊作る気か」
「いえ見開き一枚です」
「どんなレイアウトしたんだよ!」
「これです」
「なんだよこれ!明治時代の新聞じゃあるまいし、写真とかまるで入らないのかよ!」
「あぁ、写真」
「おかしいだろう!写真も入らないで字ばっかりで、それこそ新文ぽくないだろう!」
「そうかなぁ」
「そうかなぁじゃないよ!新聞広告とかあるでしょ普通!今時文字しか並んでない新聞なんて見たこと無いよ!何こんな夜更けに8千文字とか依頼してんのよ!あんた!」
「多いですか」
「多いに決まってるだろ!べらぼうだよ!」
まぁそんなこんなのやり取りがあってね、でも結局、またゴリ押しされてね、押し問答してる時間すら惜しくなってきてね、とりあえず書かないと帰れないと思いましたのでね、書きましたよ。
その時の憤りをそのままに、書いてやりましたよ私は!
そんな係わり方をね、したわけですよ、私は。
このオルゴールとね。
でね、そのオルゴールがこの度目出度く完成しましてね。
だけど完成したって、私には感慨もなにもないですよ。
ただね、どんな風にくるまれているのかしらんと、
新聞紙の出来が気になりましたのでね
フタを開けてみましたよ。
したら奥さん、
いきなりくしゃくしゃに丸められた新聞紙が見えましてね、
「あぁこれか」と。私は思ってため息をつきましたね。
このくしゃくしゃと丸められるために、おれはあの晩残業になったのかとね、思いましたらね、別の意味で感慨もひとしおでしたよ。
でね、くしゃくしゃした新聞紙を、こう手でほぐしてね、
読もうとしたんですけどね、もうね、悲しいかなどっから読んでいいのかわからないようなレイアウトになっていてね、もうね、更にがっかりですよ。誰も読まねぇよ。こんなもん。
とね、悲しんだわけですよ奥さん。
よく分かんなかったでしょ。話の中身がね。
買っていただくとよく分かるんですよ。
ね。
買ってください。
ね。
じゃ、また明日。
オルゴールの発売は今週の土曜日。
ね。
解散!
(13:48
嬉野)
嬉野です。
今日、札幌は久々にまとまった雨が降りました。
そう言えば、ドラマの撮影が全て終わった翌日から天候が下り始めて本日に至るわけですが、それを思えば実に天候に味方されたチームだったと思いますね。
初日、ロケ地の小樽に移動した日だけ、かなり雨が降りまして、
それ以降はまったく降らず、晴れっぱなし。
だから撮影には支障なし。
珍しい組ですよ。
さて、本日から監督も編集室に入り(今回はドラマの編集に慣れた外部の編集者との作業です)順調に繋いでいるようです。
さっきメール来ました。
みなさまは、如何お過ごしですか。
では、本日はこれまで。
またね。
(18:47
嬉野)
7月8日火曜日。
こちらの日記に戻ってまいりました、藤村でございます。
ドラマ「歓喜の歌」の撮影が終わって一週間が経ち、ようやく少し落ち着いたところでございます。
撮影直後は、「一日置いたビーフジャーキーみたい」と揶揄されるほどの干からびようで、実際体重も減りましてですね、さらに家へ帰ってからも寝付きが悪くて目を閉じれば撮影現場が脳裏に浮かび、思わず「本番!よーい!はいぃッ」なんて枕元で口走る始末。
撮影中もですね、4日目ぐらいでしたか、朝起きたら突然左足のふくらはぎがつりましてですね、早朝のベッドでひとりのた打ち回るということもございました。
足がつる、なんてことは学生時代にもなかったことです。
その2日後には右足もつりましてね、四十三のおっさんの足がバレリーナのごとくピーンと伸びきりまして、男藤村パンツ一丁、伸び放題の足をひーひー言いながらさすっておりましたよ。
現場は実に楽しく和やかに進行しておりましたが、やはり初の本格的カントク業、2週間近い撮影期間で、精魂使い果たしておったのでありますなぁ。
しかし、それほどまでに、そこまでのめり込んでしまうほどに、この「歓喜の歌」という作品は面白かったんです。
立川志の輔さんの傑作落語を、チョン・ウィシンという脚本家が台本にした。
その台本は、実に「含みがある」というか、読み方によって幾通りもの演出が可能だったのであります。
例えば。
「これ、ダンナが作った健康ジュース。はっきり言ってまずいわよ」
田中裕子さんからそう言われて渡された青汁を大泉さん演ずる主任が飲む、というシーンがあります。
台本には、「いただきます」と言って飲む、とだけ書いてあります。
どんな顔をして、いつ飲むのか、書いてない。
田中さんのセリフは、実にしんみりとした、いいセリフが続きます。
台本を読む限り、泣けるシーンです。
でも、どっかのタイミングで、まずい青汁を主任が飲む。
きっと、「まずい」という顔をするでしょう。
これ、タイミングを間違えば、いいセリフを殺してしまう。
普通に考えれば、まず青汁を飲んで「まずい」という顔をし、お互い顔を見合わせて笑い合って、しんみりした話に入っていく・・・というパターン。
でも、単純に「笑い」の後に「しんみり」したくはなかった。もっと何か違う演出はないだろうかと考えた。で、大泉さんと話しをして、飲むタイミングを決めました。
さらにどうだ?いっそのこと1回ではなく、2回飲んで「笑い」の部分をもう少しねばってみようかと。
結果、ただしんみりするだけではなく、おもしろカナシイような、私の好きなシーンになりました。
全編通して、チョンさんの描く話は、ただ悲しい、ただ泣ける、という終わり方はしていない。必ずどこかに「おかしさ」を隠している。
それを嗅ぎ取って、演技に盛り込んでいくのがカントクと役者の作業であり、それが実に楽しかった。
ドラマ「歓喜の歌」。
映画とも落語とも違う、泣いて笑って、ほっとする、もうひとつのお母さんたちの物語が、ちゃんと出来上がったと思います。
さぁ、今週から編集です。
実に、実に!楽しみでありますよ。
(16:56
藤村)
2008年7月7日(月)
嬉野でございます。
さてさて、ここの日記を更新するのも久しぶりでございます。
ドラマ「歓喜の歌」の撮影も上首尾に終わり、今週から監督は編集であります。
手ごたえ充分と申しておりましたから、
今から完成が楽しみであります。
HTB開局40周年記念ドラマ「歓喜の歌」。
放送は9月7日(日)午後2時からであります。
テレビ朝日をキーステーションに全国放送でございますので、皆様のお家でもご覧になれますな。
なにとぞ皆様、その日ばかりはテレビの前で休日をお過ごしくださいまして、視聴率アップに御協力くださいますよう(笑)。
さて、わたくし本日を持ちまして、またひとつ年をとりました。
もう49歳でございます。
どうでしょうと共に12年。
ですが、あの頃がずいぶん昔のような気がひとつもしないのは、なぜでございましょうか。
いつまでたっても、始まったのは、つい昨日のような気がいたしますばかり。
チーム40も今年まで。
来年からは50の坂を下り始めて、愛はまぼろし。
てなもんでございましょうか。
いずれにしたところで私の人生もあと10年。
それもまた、短いような長いようなでございます。
じゃ、またあした。
諸氏のお気遣い、ありがたく思います。
今後ともよろしくであります。
嬉野雅道
(14:47
嬉野)