11月5日火曜日。藤村でございます。

藤村

11月5日火曜日。藤村でございます。
先週、DVD第20弾「原付西日本制覇」が発売されまして、我々が13年前の春、京都から鹿児島へとカブに股がってひた走ったあののどかな旅が、みなさまの手元に渡りました。
これでもう誰がなんと言おうと、あの旅の出来事、そして、2000年春の西日本の風景が、記録としてこの世に残ることになったわけです。
特典映像には、春の景色の中、淡々と走るカブの映像を長々と収録しました。あれは、ひとつの記録映像です。観光地でもない、取るに足らない道端の風景。でもそれはきっと10年後、20年後、30年後、なにか意味を持つ映像になるだろうと思っています。どうぞ、永らくみなさんの手元に置いてやってください。
「原付西日本」を、ちゃんと世に出せて良かったと、ひとりのテレビマンとして、心から思っております。
さて、10月27日は大阪で「第3回大阪マラソン」に出場してまいりました。
沿道には数多くの関西勢が駆けつけてくれまして、あれはもう本当に1キロごとに「藤やーん!」という声が聞こえるほどの大軍勢でありました。出場しているランナーにも数多くの藩士諸君がおりまして、「がんばってください!」「がんばりましょう!」とお互いに声を掛け合いました。
沿道から「藤やーん!」の声が聞こえれば、近寄ってハイタッチをしました。不思議なもので、藩士諸君がハイタッチをすると、それにつられて他の人たちも思わず手を出して、ハイタッチの列が続くこともありました。
20キロを過ぎたあたりからは、立ち止まって一緒に写真を撮っていきました。
40キロ手前にある「南港大橋」は急な上り坂で、大阪マラソンの一番苦しい地点です。ここで大会事務局は、ランナーを盛り上げるためにスピーカーから元気の出る音楽を流してくれます。去年はサザンの「希望の轍」が掛かっておりました。それが今年、私が南港大橋にさしかかった時に聞こえてきたのは、なんと「1/6の夢旅人2002」。どうでしょうファンである事務局の音楽担当の人が、私が橋を渡る時だけ、音楽を差し替えてくれていたのであります。「聞こえますか!藤村さん!」。担当の彼は、沿道を走りながら声をかけてくれました。
42キロを過ぎ、残りあと100メートルというゴール手前には、散らばって応援していた関西勢が集結して、鈴なりになって待っていてくれました。全員とハイタッチして、去年より30分以上遅い5時間8分でゴールしました。
着替えをし、外に出ると関西勢諸君がまだ待っていてくれたので、みんなで集合写真を撮って「じゃあまた来年の大阪マラソンで!」と言って解散しました。
タバコを吸い毎晩酒を飲む小太りの中年サラリーマンが42キロのフルマラソンを走る。それをなんだか楽しそうに応援している人がいる。ただそれだけのことで、別に優勝したわけでもないし、劇的なことがあったわけでもないけれど、なんか「いい一日だった」ような気がする。
それはあたかも「取るに足らない道端の風景」と同じで、でもいつか、すごく大事な意味を持つようなことのような気がします。
「ヒゲマラソン部」は次回、副部長である石坂店長が肝の臓を患って出場が微妙ではありますが、昨年と同じく大分県竹田で開催される「岡の里名水マラソン」に出走予定であります。起伏が激し過ぎる過酷なコースで、九州勢の応援、そして共に走るランナーを「ヒゲマラソン部」はお待ちしております。
私がデザインいたしました青と茶のボーダーカラーの「ヒゲマラソン部Tシャツ」。今月末発売!
さて「水曜どうでしょう最新作」でありますが、現在11週目を編集中。なんとなーく「14週目ぐらいで終わるかなぁー」という感じの現状であります。
本日も不肖藤村48歳、編集に邁進いたします!解散!
余談ですが、大阪マラソンの優勝者に送られるトロフィーは、なんと!ウチのアクリルキーホルダーを作ってくれた東大阪の町工場「クリスロン」製なのであります。
(17:03 藤村)