2010年3月17日(水)
2010年3月17日(水)
嬉野です
むかし、東京にいたころ、
世話になったプロデューサーにOさんという人がいて、
その人は自宅に犬を飼っていて、
大事に可愛がっていたようでしたが、
ある時、仕事の合間に犬の話になり、
Oプロデューサーはこんなことを言うのでした。
「嬉野くん。犬は可哀想だよね」。
私はOさんの言葉の真意が奈辺にあるのか瞬時には分からず、
聞き返しました。
「え?どこが可哀想なんですか?うちのは楽しそうにしてますけど」
するとOプロデューサーはなんとも切ない顔で私を見返しながら言うのです。
「だって、ほら、犬は言葉が出来ないじゃないか」
この人は何を言っているのだろう?と、私は思いました。
要するに何だぁ?
しゃべるということのできない犬というものは、
可哀想なものだねと言っているのかしらん。
でも、犬が可哀想だ、などと思ったことが一度も無かったぼくとしては、むしろしゃべんないから犬は可愛いじゃないのよという実感があったもんで、なんだかやぶから棒に妙な事を言う人だなぁと思って聞きながら、
「はぁ?そうすかねぇ?」と、
無内容に土俵際でうっちゃり、かの人の真意も分からぬまま、
私の身には、あれから15年の歳月が流れてしまったんですというわけで。
まぁ15年の歳月が流れるとは、
どういったことかというとね奥さん。
35のあんちゃんも、
50のおっさんになるということなのですよ。
これは実に驚愕すべきものです。
そして一緒に札幌へ越して来た老犬も、今はもう居ないわけで。
現実とはのっぴきならないものですよ奥さん。
でも、年を取ると分かる事もある。
去年の夏に我が家へ来た黒プーのラッキーちゃんも
この三月で晴れて満一歳となり。
夫婦で溺愛し教育には失敗したのかもしれないけれど、
無邪気にはしゃいでくれるので、夫婦は益々溺愛して歯止めが効かないありさま。
で、まぁ、夫婦が同時に家を留守にする時に、
このラッキーちゃんをペットショップにあずけるのですが、
これがなんだか心が痛むわけで。
なんで心が痛むのよと、言いますと。
この黒プーのラッキーちゃんには、
ちょっとのお留守番だから犬屋にあずけられるんだぁという分別は無かろうと思ってしまうのです。
あぁ、また違う人のところに行かなきゃなんないのかぁと、
さぞや心細く胸を痛めるのではないかと思ってしまうというわけで。
どうぞ奥さん、お笑いください。
これがじじいの戯言でございます。
でも、あいつにもし言葉が出来るなら、
桜の花の咲くころには、必ず迎えに来るから、
それまで好い子でいるんだよ。ほんの少しの辛抱だからと、
言ってやれるのです。
それができない、だって犬は言葉が出来ないから。
そうね。
あの昔、「嬉野くん、犬は可哀想だねぇ」と切なそうに言った、
Oプロデューサーの言葉の意味が今は分かる。
じじいになると心が弱り泣き虫になる。
それがどうした、ざまぁみろ。
いつまでも強きゃ好いってもんじゃあんめぇし、
と、
まぁ、
犬のように遠吠えてみる私です。
では奥さん本日はこれまで。
また明日。
明日もきっとおいで。
【お知らせ!】
DVD第13弾のローソン・ロッピー端末での2回目の予約も上限数に達してしまったため受付終了となりました。
残るは3月24日からの道内HTBグッズ販売店での店頭販売、及びHTBオンラインショップでの通販となります。
(16:52 嬉野)