2011年1月1日(土)

嬉野

2011年1月1日(土)
新年。あけましておめでとうございます。
嬉野でございます。
昨年も皆様には大層ご贔屓にしていただきまして、
感謝に耐えません。
明けました2011年も、どうぞ変わらぬ御愛顧、御贔屓を、
たまわりますよう、On願い上げ奉ります。
掲示板のお悩みも、必死こいてお返事を書きましたが、
時間足らず。
皆様には食い足りないでありましょうが、
なにぶん私も大晦日に出てまいりまして書いておりますので、
もうそろそろ家に帰ってゆっくりさせてもらっても、
好いじゃないのよ!ということでね。
やめました!
えぇ、どうぞ、みなさま、
本年も各自の持ち場で奮闘されてくださいませ。
期待しております!
そして明日の日本と!
「水曜どうでしょう」!をどうぞヨロシク!
では諸君!
正月休み明けにまた会おうぞ!
正月ボケ、するなよ!
謹賀新年!!
【2010年最後の藤村日記メモリアルのコーナー】
実は我々、「電撃ゲームス」というゲーム雑誌で「お悩み相談」の連載を始めまして。
まずもってゲームなんかには興味はすっかり無くなったし、だいたい子供に「おい!ゲームなんかするな」と言うぐらいの人間が、ゲーム雑誌に連載とはどういうことですか?と思いましたが、むこうは「いや、そのほうがいいんです」と。「ゲーム雑誌の中で、『ゲームなんかしてたらダメだ!もっと外へ出ろ!』と言うのもいいんじゃないか」と。
あーそれならいいと、いうわけで連載を始めております。
ひとつの悩みを、藤村、嬉野、それぞれが勝手に答えるということで、まるで違う答えが返ってきて、相談者は結局どうしたらいいのかわからん、ということにもありましょうが、まぁおもしろそうなので、是非ご覧ください。
もうひとつ、我々は、もうずいぶん前から付き合いのある熱血編集長井上氏から熱血依頼を受けて、「Blu-ray&DVD EXPRESS」というフリーペーパーで「観る、思う、考える」と題した連載をしておりましたが、残念ながらこの12月でいったん休刊となるそうで、昨日、熱血氏から休刊に至る無念を書き連ねたメールが届きました。正直「いや長ぇよ」と思いながらも読みまして。「必ず復刊させたいです!」と力説しておりましたが、私、すでに来月号の原稿を書き上げておりまして、この原稿の行き場がなくなってしまったので、「まぁこの日記にのっけてしまえ」ということで、以下、転載いたしまして、わたくしの年末のご挨拶にかえさせていただきます。
皆の衆!よいお年を!
来年は新作!いよいよ放送だぞ!
 待望のDVDがいよいよ発売された。フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」の人気企画「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」のDVDだ。その名の通り、「落合博満選手が内野フライを取るところ」とか、「え?そこをマネすんのかよ」「てか、落合が選手だったころ知らないし」という、目の付けどころが細かすぎてほとんどの人には伝わらないモノマネを次々に披露する企画である。
 そもそもモノマネとは「比較対象に対して似ているか否か」という判断の上にのみ成立するものであって、つまり前提として、「マネをされる対象のことをみんなが知っていること」が必要である。知っていなければ、似ているか否かの判断ができない。ところがこの「細かすぎて〜」は、その前提をしょっぱなから完全に放棄してしまっている。知ってる人はいいだろうが、知らない人は完全においてけぼり。従って多くの人たちは、「うわぁーすごい似てるぅー!」というモノマネ芸に対する最高級の賛辞を送ることができない。演じる者たちは、だからほとんど賞賛されることがない。しかし不思議なことに、マネされる対象を知らなくても笑うことができ、歴代のモノマネ番組の中で、これが一番おもしろい。それはなぜか?
 「モノマネ」を定義するならば、それは「再現」とは意味が異なる。モノマネは、その対象物が発する言葉の一語一句、声の質から顔の表情、動作までを完ペキに再現することではない。すべてを機械的にマネるのであれば、それは「模倣」にすぎない。モノマネとは、その対象物のある特徴を抽出し、それを誇張して表現することによって、その全体像を見る者に投射することである。決してすべてをマネしているわけではなく、ある部分だけを独自の観点で見出し、そこを重点的にマネしているのである。つまり対象物をいったん分解し、精査したのち、ある機能だけを膨張させて再構築する、フルチューンナップのような緻密な作業をしているのである。モノマネ芸のすべては、どこを抽出するかの着眼点であり、それを見出す感性のたまものに他ならない。「細かすぎて〜」が、なぜおもしろいのか。モノマネの対象物を知らなくても、なぜモノマネとして見ることができるのか。それは、「モノマネとは対象物の特徴を見出す感性のたまものである」という、芸の本質的な部分を見事に突いているからである。我々は知らず知らずのうちにモノマネ芸の本質を理解し、似ているかどうかではなく、その着眼点のおもしろさで笑っているのである。
 だが、残念ながら海外ではモノマネ芸の評価はとても低いと聞く。日本人を評して「猿まね」という言葉もよく使われる。自動車だって家電だって、もともと西洋で生み出されたものではないか。日本人は、それを猿のようにマネをして作ったに過ぎないのだと。ふっ!バカなことを言うなと。日本人は、西洋が作り出したものを模倣したのではなく、独自の着眼点をもって、その機能をさらに昇華させたのだと。西洋で「細かすぎて人に伝わらないこと」のおもしろさがわかるか?と。これは実に奥深い日本独自の感性なのだと、私は胸を張って言いたい。
 もうひとつ。「細かすぎて〜」は、モノマネ芸を披露する者たちが、芸の途中にステージが割れて、突然目の前から消えてしまう。いくら素晴らしい芸を披露しようとも、彼らはスタンディングオベーションなどという西洋的な馴れ合いの賞賛合戦をだらだらと続ける事なく、いさぎよく奈落の底へと落ちていく。それまでじっと見入っていた視聴者たちは、演者がいなくなったカラの舞台を見て爆発的な笑いを引き起こす。すべてが「無」になった時にこそ、そのモノの神髄がそこに存在するという「無の境地」。どうだ、西洋人には到底理解できるまい。
 「細かすぎて伝わらないものまね選手権」には、世界に誇るべき日本の文化が、見事に花開いているのだ。
【「水曜どうでしょう」新作3月2日(水)放送スタート決定!】
2002年秋のレギュラー放送終了から年に一回のペースで新作を制作してきた『水曜どうでしょう』は、2006年「ヨーロッパ20カ国完全制覇の旅」のロケを最後に中断したまま、4年の歳月が流れました。
その間、「新作はまだか!」「もう作らないのか!」との世間の声にもただ沈黙を守り、どうでしょう班ディレクター陣は、2008年にはHTB開局40周年スペシャルドラマ『歓喜の歌』、翌2009年にはスペシャルドラマ『ミエルヒ』を制作し、新境地を開いてきました。そして迎えた2010年・夏。ついに『水曜どうでしょう』は満を持して、実に4年ぶりとなる新作ロケの旅へ出ました。
行き先は「海外」か?「国内」か?4年のブランクを打ち破る久々の新作にいやおうなく高まる期待・・・その期待に応えるべく、変わらない往年の名調子は果たして番組内で繰り広げられるのか!?今回も大泉洋さんは企画内容を一切知らされず、これから自分の身に何が降りかかるのかも分からずに東京都内某所に立ちます。さぁ!4年ぶりの『水曜どうでしょう最新作』、果たして何が起きるのか?放送開始のその日まで、いつものように内容は一切マル秘です・・・。
(20:01 嬉野)