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嬉野

2007年11月2日(金)
東京は知らぬうちに都営大江戸線などが出来、いやはや彼の地の電車事情は飛躍的に便利になっておりますね。
それに、SUICAというカードがあれば、今や切符も買わずに改札をすいすいと通過する事が出来るので、もう切符売り場に並ぶ事も無くなりました。
思えば1980年代。
東京中の駅の改札には、まだハサミを鳴らしながら乗客一人一人の切符を切りまくる駅員の方の姿がどの駅の改札にもありました。
チョキチョキと鳴り渡るハサミの音が構内に響いておりましたのが駅の風情でもありましたが、すでにそれもなく。
思い起こせば、まさに隔世の感ありというところです。
駅のホームへの階段にもエスカレータが敷設され、エレベーターが設置されました。
時代は、善意の下に行き届かなかった不便な時代を乗り越え、気遣いを旨とする時代へ突入したのだと思います。
そのために企業はお金を掛け、世間はたゆまぬ努力をしている。
そのこともまた見落としてはならない前進なのだと受け取らねばと思います。
先月東京に出張しましてね。
初台から神保町まで都営新宿線に乗りました。
市ヶ谷あたりでしたでしょうか。
車椅子の老婦人が乗り込んでこられました。
押してこられた老紳士はお友達でしょうか、弟さんだったのでしょうか、いずれにしても仲の好さそうな笑顔が印象的なお二人でした。
車椅子の老婦人は、かなりお痩せになっておられましたし、少し顔色も浅黒く、体のどこかにご病気があるような感じでした。
でも、着ておられた服は紅いカーデガン、そして薄い色のブラウス、それにグレーのスカート。
一見すると娘さんのような趣でした。
その老婦人の車椅子を元気に押して乗り込んでこられた老紳士は、温厚な大工の棟梁がゴルフへでも行きそうな出で立ち。
背丈はけして大きくは無く、どちらかといえば横に広くガッチリとした頼もしい体形。
お二人とも年齢は近い。そんな気がいたしました。
私が、なぜそんなお二人のことを詳しく覚えているのかと言いますと。それは、そのお二人の電車に乗り込まれるご様子があまりにも楽しそうだったからです。
その老紳士の老婦人に対する気遣いの中に、どこかしら敬意の念の含まれる想いが私にはしたのです。
あぁ、この男の人は、この老婦人のことを尊敬もしくは愛しておられるのだろうなという想いが、その表情、その動作に見て取れたからであります。
その方たちの周りから発される明るさは、
ただ、いちゃいちゃとした騒がしい仲の好さではなく、
ほんのりと清々しい敬意を見る者に感じさせる仲の好さだったのです。
そしてお二人の仲にある、その清々しい関係を可能にしているのは、もって、その老婦人の気質にあると、なぜか私は思いました。
その時私は、地下鉄の車両の優先席寄りのドア口に立っておりました。
やがて電車は市ヶ谷の駅に止まりました。
すると私の向かい側のドアが開き、
くだんのお二人が元気に入ってこられたのです。
そして、私のすぐ脇に老婦人の車椅子が止められたのです。
老紳士は車輪にブレーキを掛けると、直ぐ横の優先席に元気よく座られ、老婦人を見守るようにニコニコとしておられました。
私は、そのお二人の仲があまりにも微笑ましかったものだから、迂闊にも油断をして、その老婦人の顔をしげしげと見下ろし続けていました。
すると、不意にその老婦人が顔を上げられ、私とご婦人の視線が合ってしまったのです。
普通だとあまりにも不躾なことだから、私がとっさに視線を外すか、先方に不快な顔をされるかだと思います。
ところが、その老婦人は、私と視線が合った瞬間、
ニッコリと微笑まれたのです。
私に向かって。
その笑顔にあてられて、瞬間的に私も微笑んでしまったのです。
不躾な視線を落としていたのに、その老婦人の微笑のお陰で、気まずい事にならずにすみました。
いえ、そればかりか、私は、日常の電車の中で、まったく見ず知らずの人の微笑みに微笑みを返す事が出来たのです。
それは私にとっては奇跡的なことで、もって、そのご婦人の人徳によるものだと思ったのです。
目の前の車椅子に座られた老婦人は、見ず知らずの者にさえ自然に微笑みかける事の出来る方だったのです。
だから私も嘘のように自然な微笑が返せた。そう思うのです。
その時、私は、このご婦人の幾十年の人生を想いました。
そして、とても暖かい敬意を、この老婦人に対して、私は持ったのです。
あの老婦人の私に見せてくれた微笑は、思わず微笑み返さずにはいられないものだった。
私は、あの老婦人に教えていただいたのです。
知っていようがいまいが、人と人が微笑み合う時に受け取る、なんとも穏やかな幸福感を。
できれば、年を取った時、私もあの老婦人のようにありたいと、思いました。
今日ある、便利の行方が、すべて善意の下にあることを私は信じたいと思います。
こういうことをここに書いて、なんだか気恥ずかしいのですが。
私は、本当にそう思ったのです。
それでは奥さん、また明日。
解散。
(18:27 嬉野)

嬉野

2007年11月1日(木)
嬉野です。
HPのお寺の境内にも霜がおりましてね。
寒々としてまいりました。
11月でございますね奥さん。
本日のお仕事も、とりあえず一段落いたされましたか?
皆さん好い一日でありましたですかな。
まぁいろいろあっても、しょうがないです。
お気張りください。
さてと、言う事で。
実は、今日も大した話が出来るわけではないのでね。
くだらん話をしますよ奥さん。
いえね。
つい数日前の夜のことなのです。
うーむ。どっからどう話せばいいのか分からないのですが。
実は奥さん。私には、ある癖がありましてね。
なんて言ったら好いのでしょうか。
「金縛り」癖。みたいなものがあるのですよ。
いえいえ奥さん。
軽い話ですよ。怖くないですから。
私は、オカルト好きじゃありませんから。
あれは確か私が二十歳の年でした。
年末にうちのばぁさまが95歳で大往生しましてね。
そのお葬式が終わりました翌晩に、
ちゃっかり私についた癖でしてね。
あの時は、ばぁさまとおぼしき人が私の枕辺に座りました。
リアルな気配に驚きました。それから癖になりましました。
あれは癖だと思いますよ奥さん。金縛りというのは妙な癖です。
ほら、足がつったりする癖が付いたりするでしょう。
あれだと思うのですよ。
だって、初めの頃こそ、
あまりにもリアルな気配を感じますのでね。
「なんと摩訶不思議なことがあるものじゃ!」と、
驚くんですけどね。
そのうち、あんまりちょくちょく金縛られますうちにね。
「またか」って思い始めるのですよ。
金縛られてる最中にです。
それこそ、二十歳の頃の最初はですね。
夜中に目が醒めても体が動かない、声が出ない。
なんてなことになりますからね。驚くのです。激しく。
でも、実はそれも夢なのですよ。
でもね、それに気づきませんから。
私はパニクってしまっておりました。
けれど。しかしながらね。
頻繁に金縛りを経験しますと、今度は、ほどき方も分かってまいります。
結局、夢です。あれは。
入眠時に見る幻覚です。間違いなく。
寝る前に頭使い過ぎてるとだいたい金縛られますよ奥さん。
しかしながら、その癖も。
年毎に減りましてね。近頃は一年に数回、あるかないか。
今回も、けっこう久々のことで、金縛られることなんて、もう半ば忘れていたくらい、私から遠いものになり始めておりました。
ところが数日前の晩。
私は「Onちゃん本」の原稿の最終の直しをしてたいのですよ。
遅くまで。
それで寝たのです。
経験上、入眠幻覚を見ることになりがちな状態で寝たのです。
つまり体は疲れてる、でも頭は妙に覚醒して、しかも興奮状態にあるわけです。
寝たと思っておりましたら。
私の胸の上を犬が乗り越えて行くのです。
「ハァハァ」言いながら。
その気配で私は目が醒める。そして犬の姿を探す。
だけど犬はいない。そらぁいないはずです。
醒めたと思っているだけで、その時私はまさに幻覚の最中なのですから。
で、それが始まると、その後、誰かに上に乗られて息苦しくなるのです。やがて、なんだか得体の知れない力に自分の体がぐいぐい引っ張られていくのです。
だから私は、その不思議な力に引っ張られまいと力まねばならない。そんなこんなが長々続くから鬱陶しい作業になるわけです。
ところがいつもと違い。今回、展開が派手だったのです。
今回初めての現象が起きたのです。
声がしたのです。
頭の上で(笑)。
声が聞こえた事はこれまでなかったのよ奥さん。
だもんで、なんじゃこれは!って一瞬身構えた。
声は言うのです。私に向かって。囁きかけるように。
「細かいことにこだわるなよ」って(笑)。
言ってんのよ奥さん。頭の上で。
え!って思ったさ。
だってそんなね。
声が聞こえるなんて初めてのことだったからさ。
ははぁ、今夜はいつもとだいぶ様子が違うなぁって思った。
で、その声を聞きながら。
あれ?この声は自分の声だなぁって思ったのですよ。
自分の声が、抗うなって言ってるんだなって思ったのです。
この辺の理解の速さが夢の醍醐味ですな(笑)。
説明が要らない。
それで、いっぺんに気が抜けてね。
「そうだな。抵抗するの止めて、一遍どうなるか成り行きを見てみるか」って思った。
どうせ夢だし。どのみちどっかで醒めるだろうって思った。
で、危機管理意識が吹っ飛んでね(笑)。
今回、初めて踏ん張るのを止めたのですよ。
そしたらあなた物凄い勢いでどっか行っちゃうのよ(笑)。
私がさ(笑)。
もうジェットコースターみたいな体感を覚えたよ私は。
すばらしいねぇ幻覚って。(←あくまでも入眠幻覚の話よ)
「2001年宇宙への旅」のラストみたいな感じよ。もの凄い移動感。
もうどっかへ体がすべっていくのですよ。もの凄い勢いで(笑)。
いやぁびっくりしました。
おぉこれはどうした。好いじゃないか。見たいな感じで盛り上がったね。
したら、次の瞬間。
不意にシーンとした静かな部屋に私はいたのです。
この辺りもまさにキューブリック映画(笑)。
そこに、医療器具なのか。大型コンピュータなのか。
精密で高級そうな機械が据えてありました。
床と天井から色温度の高い青白い光があたっている部屋でした。
白を基調にして、ところどころにグリーンをあしらった色使いの精密機械でしたね。
高そうな機械だったのです。
どう見ても新品。最先端っぽいのです。
その高そうで新品でぴかぴかの美しい最先端ぽい機械がですね、
その部屋を占拠してるのです。
その機械の真ん中に組み込まれるように椅子がひとつあった。
あぁ椅子があるなぁって思いながら熱心に見てた覚えがあります。
その部屋で。その機械を。
私は、じっと見ている。他に人は居ない。
で、思ったのです。
「なんでこんなものが見えるんだろう」って。
現実に見ているわけではないのに。
自分の記憶にある物でもないのに。
それなのに、その機械に近寄ったりできるのです。
近寄ればリアルに機械の細部も見えてくるのです。
そういえば、ものを見るのは脳だって聞いたなぁ。
本当にそうなんだなぁって思って見てました。
だって、ありもしないものが、ありありと見えているのですから。
声も聞こえる。耳で聞いてもいないのに。
声を聞いてるのも脳なんだなぁって思った。
気配だって脳が感じてるのかなぁ。
私の胸の上を乗り越えていった犬の重み。
掛け布団越しに感じる犬の足四本の感触。
聞こえてきた犬のハァハァという息づかい。
みんな脳が見せてくれ聞かせてくれたもの。
でも。
見たことのない機械が目の前に見えているのって。
これはなんだろうって思った。
記憶にないものを、そしてその細部を。
どうしてこう克明に見ることが出来るのだろうって。
それだけが分からなかった。
あの夜はその後も、もの凄い勢いであっちこっち飛ばされましたが覚えていません。
やがて知らぬ間に深い眠りにつけたのか、私は翌朝すっきり目が覚めました。
確かに、声の言った通り。
細かなことを気にしなかったから、好いものを見ることが出来たなと思いました(笑)。
人が死ぬ時に、人は走馬灯を見るというよね。
自分の一生が駆け抜ける馬のように目の前を行過ぎる。
それって、あんな感じなのかな、と思いました。
そうであれば、悪いものじゃないなと(笑)私は思いましたよ奥さん。
では、また明日お会いしましょうね。
解散!
(16:36 嬉野)