2007年9月の6日木曜日。藤村でございますよ。

2007年9月の6日木曜日。藤村でございますよ。

「本日の日記」発売から2日目。掲示板には数多くの感想が寄せられておりまして、うふ共々時間をかけて読んでおります。

読後の感想は自分の胸にしまっておく、というのもいいですが、度量の大きな著者本人が、「直接感想を聞こうじゃないか」って言ってんだから、書いてみてもいいんじゃないかと思いますよ。

かといって「つまらんかった。金返せ」と言われましても、「うるせぇ」と言うだけですけども。

モノを作り、モノを買う、当たり前の行為ですが、よく考えれば人間にしかできない尊い行為でありますな。

自分で作った物、捕った物、育てた物。そこには必ず生産者の感性が生きている。それを他人に譲り渡す。

他人はその対価として、苦労して稼いだお金であったり、自分の持っている物を渡す。

そこにはお互い感謝の気持ちがある。

「譲ってくれてありがとう」

「いやいや、私が作った物を選んでくれてありがとう」

生産者の感性と、それを欲する人との感性。それが合致したときに、幸福な「物のやりとり」が成立する。

消費社会の中で「対価=金銭」「お金を払えばなんでも買える」と単純に考えてしまうと、そこに幸福なやりとりは存在しにくくなる。

ここは消費者の方がふんばらないといけない。よく考えないといけない。なぜなら消費者は無意識のうちに、生産者は金を払う自分のためなら何でもすると思ってしまうから。

だから平気で「つまらんかった。金返せ」と言ってしまう。

違います。

つまらんかった。ならば「つまらん」物を選んでしまった自分の感性、能力の無さを反省しなければいけない。

消費者が何も考えなかったら、この世から良い物は消えて、「安い」というバカでもわかる尺度でしか物は作られなくなる。

だから

「つまらんかった。金返せ」

ではなく、正しく言うならば

「私はあなたが作った物をつまらないと感じました。でもあなたは悪くありません。これを買ってしまった自分が愚かだったのです」

という・・・いや、違うな。これは単に腰の低い嫌味だな。一番タチが悪い。「つまらん!金返せ!」と言われたほうがよっぽどいいじゃねぇか。

ま、とにかくだ。物の売り買いというのは、「金銭のやりとり」ではなく、「感性のやりとり」と考えれば、より人間らしい行為、より幸せな行為となる。

ま、おれは遠まわしに「つまらんと言うな」と、言ってんだ。

さて、札幌の近くに江別という町があります。

子猫ちゃんなどと自らを呼ばわっているおばかさんたちには、「にょういずみが幼少のころを過ごした町」と言えばわかるかな。アカデミックな人には「北海道開拓時代からレンガ作りが盛んな町」と言っておこうか。

その江別の町では年に1回、7月の初旬に大規模な「やきもの市」が開かれます。

「焼き物市」というと、有田焼だの備前だのをトラックに積んで日本各地の駐車場を行脚する「今年も来ました!全国陶器市」みたいなものもありますが、ここのはそうじゃない。

道内在住の陶芸作家、ガラス作家がプロアマ問わずごっそりと出店する、正しい姿の焼き物市なのであります。

数百とあるテント。作った本人が自分の作品を並べて売っている。

別に陶芸に詳しいわけじゃない。でも、「好きな感じ」というのはある。その感性だけを頼りに好きな器を探し歩く。

若手の作家が多いので値段は高くない。

気に入った器に出会うと、「いい物を見つけた」と素直にうれしい。

お金を払うとき、「あんたの作るものは好きだな。これからもがんばって」と思う。

茶碗だのグラスだの、そんなものは100均に行けばなんぼでも手に入る。でもそんなものは買わない。

目の前にいる彼が作り、自分が自分の感性で選んだ茶碗を買う。

1500円。全然高くない。

我が家の食器棚に名の通った高価な皿はないけれど、でも100均で「とりあえず」買ったものもない。

ただ、坊主が使う茶碗にしても、一杯のビールを飲むグラスにしても、「作った人の名前と顔がわかる物」が置いてある。

作り手の感性と自分の感性が合った物を使っていると、それだけで気持ちいい。メシもビールもうまい。

でも・・・まぁ、そうは言ってもクソ坊主が乱暴にメシをかき込んでいると

「おまえわかってんの?これは九州で買った茶碗でな、若いけど賞を取った人が作ったやつでな」

などと小うるさいウンチクを語り、

「おいおまえ!そのグラスで牛乳飲むな!おめぇーはアンパンマンで飲んでろ!」

などと言ってしまうのは、まだまだわたくしも、器が小さいと、そういうところでございますな。

じゃね、おあとがよろしいようでと、あれ・・・外はもう暗い。

日が落ちるのが早くなりましたな。

札幌の夜はずいぶんと寒くなってきましたよ。

じゃぁ今日はこのへんで。


(18:42 藤村)