3月20日火曜日、春分の日。札幌は朝から大雪でございます。

3月20日火曜日、春分の日。札幌は朝から大雪でございます。

藤村でございます。

さささささ!いよいよ今夜0時をもちまして、DVD「ヨーロッパ・リベンジ」のローソンでの受け渡しが解禁となります。

それに先立つ午後10時から、恒例となりましたユーストリームでの生中継を、今回は札幌HTBのどうでしょう編集室から、藤村、嬉野でお送りいたします。

DVDとともに発売開始となる「どうでしょうフィギュア」の詳細なるご紹介をはじめとして中身の濃いお話をですね、2時間あまりビシッと生中継いたします。

ツイッターでの質問、感想なども、生中継の中で紹介してまいりますので、ぜひともご利用くだされ。

そして!本日の生中継の中で、「重要な発表」もございますぞ。お見逃しなく。


さて、昨日の夜、我々は宮城県女川から帰ってまいりました。

仙台空港まで、女川の蒲鉾屋「高政」の高橋くんがわざわざ車で送ってくれて、「じゃあ、ありがとう」って搭乗口に行こうとしたら、「いや、ちょっと寂しいんで・・・」と高橋くんが言うので、嬉野さんが「じゃあね、ちょっとお茶でも飲みましょうかね」と、空港のレストランに入って、搭乗時間まで話をしておりました。

「いやぁーなんか、夢のような3日間でした」と、彼は言っておりました。

3日前の土曜日。

同じように高橋くんが仙台空港まで迎えに来てくれて、我々は女川に向かいました。

空港から、無料になっている高速道に乗り、石巻のインターで降りました。

「ちょっと遠回りになりますが、海岸沿いの道をいきます」

そう言って、車は石巻の被災地を走りました。そこには、テレビで見た通りの風景があって、1階部分が筒抜けになっているような家が点在しており、いまだに建て直しのできていない、壊れたスーパーマーケットがありました。

悲しいとか、言葉が出ないとか、私にそういう感情はなく、「元々ここにはなにがあったの?」というようなことを高橋くんに聞きました。それに対して高橋くんも、「あ、ここにはびっしり家が建っていました」というようなことを普通に答えておりました。

やがて車は、女川町に入りました。女川町に入ったあたりの家は、先ほど見た石巻の沿岸部とは違って、普通に家が建っている感じでした。

「ここらへんは変わってないの?」
「そうですね、ここらへんは床上浸水ぐらいだったので」
「あぁーそうなんだ」

でもなんだか、車窓から見る海岸の風景に違和感のようなものを感じたので、聞きました。

「なんか、海がやたらと近い感じがするんだけど・・・これって、昔からこんな感じ?」
「いや、全然変わりました。土地が1メーター以上沈んだんで、海がすぐそこまで来ちゃいましたね」
「おーやっぱりそうなんだねぇ・・・」
「道路もだから、かさ上げしてるんですよ。そうしないと満潮で道路が沈んでしまうんで」

「なるほどねぇ」なんて思いながら、しばし、異常に近過ぎる海岸線を眺めていると、そのうち車は海岸線を離れ、山道に入りました。

「あの、こっからちょっと、風景がガラリと変わるんで・・・」

と、高橋くんが言い、車は山道を下りはじめました。

するといきなり目の前に、なにもなくなった、さら地の、女川の町が見えました。

「あー・・・」

ショック、というのはなかったです。

だって、テレビで何度も見たことのある風景ですから。港の近くの茶色い「マリンパル女川」という建物が、壊れたまま残っており、その隣にあった3階建てのビルが横倒しになっていて、それはテレビで何度も見たことのある風景だったから。

夕暮れの迫った女川の、さら地の中に車が降りていき、そして、高台にある病院の駐車場まで再び坂道を登り、車を停めました。

車を降りて、駐車場から、さら地となった女川の町を眼下に一望してみる。

実際にそこに立ってみると、テレビの映像で見ていたものとはまるで違う、「なにか」を感じました。

その「なにか」は、たぶん人それぞれで違うと思います。でも、実際に立ってみると、「テレビの映像とは違うなにか」が、それぞれに感じるはずです。

私の場合はまず、「女川の町って、狭いんだなぁ」と感じました。

そして、「こんな狭いところに、何千人もの人たちが住んでいたんだなぁ」と思いました。

「人間は、そういうところに町を作って暮らしているんだなぁ」と。

「人々が作り出す町」というものの、なにか根源的なカタチを見ようとしていました。

私は、元の女川の町の様子を知らないので、眼下に広がっているさら地となった現在の様子から、元の町の姿を想像してみました。

「海沿いには市場があって、たぶんあそこが交差点で、その周りにはたぶんお店が立ち並んでいて・・・」と。

そうやって、想像の中で、女川の町を組み立てていました。

すると高橋くんが不意に、「津波はこの病院の1階まで来たんですよねぇ」と言いました。

そこで初めて愕然としました。

「いや、ウソだろう?」って。

だって、海は、はるか眼下にあるんです。

「でも、ほら、あのマリンパルの屋上まで津波が来たんですよ。あそことここって、ほぼ同じ高さでしょう」

確かに。確かにそうなんです。でも、どう考えても、眼下に見える海がここまで来るっていうことが、想像できないんです。

それは、テレビの映像ではわからない、実体でした。

実際にそこに立ってみると、「どう考えてもあり得ないこと」が、「実際にここで起きた」ということが、いやおうなくわかります。

恐怖、とかではなく、畏れというか、太刀打ちできないなにか、というか・・・。


「あのとき、実際にどんなことを感じたんですか?」

私は遠慮なく、いろんな人に聞きました。

「あー・・・・って言うしかないんですよね。あーあーって」

「あとは、笑っちゃうんですよね。信じられなくて。いやいや、おいおいって、笑いながら、泣いてるんですよね」

太刀打ちできないものに直面したとき、人はなにもできない。

そうやって、なにもできないうちに、いろんなものを失ってしまう。

「そういう絶望的なところから、どのぐらいで立ち直るというか、次のことを考え始めるんですか?」

「2か月ぐらい経ってからかなぁ」
「おれはもう3日目ぐらいから動こうと思ってた」
「おれは年が明けてから、ようやくだな」

人それぞれに立ち直るまでの時間は違い、まだまだそんな気持ちになれない人もいるだろうけれど、でも、人間は「またここから」やり直そうとするんです。

また、あの狭い土地に、ひしめきあって暮らしたいと思うんです。

それは、知性とか理性とか感情とか、そういうものではなく、どうしようもなく沸き上がってくる人間の「本能」ではないか、と思ったんです。

太刀打ちできない自然に対して、人間はまず本能で向かっていくしかない。

「生きてく」「暮らしていく」という単純な本能に目覚めた者が、次に、知性と理性を使って、またここで生きていくための方策を立ち上げていく。

「今はもう、やるしかないですもんね。絆とかなんとか、いろいろ言ってるけど、そんなものはもう、言われなくてもわかってんです。次のことを考えていかないと」

今回、女川で復興イベントを立ち上げた人たちの口から、「悲しい」という言葉は一度も聞きませんでした。感情を表す言葉で、彼らが口にしていたのは「うれしい」、という言葉だけでした。

彼らはもう、「またここで暮らしていく」という本能に突き動かされて、そのための方策に邁進している。

日曜日に開かれたイベントは、女川の若手たちが企画し、自分たちで実行した「祭り」でした。

「祭り」という言葉に、拒絶反応を起こした人たちも少なからずいたそうです。それでも彼らは「祭り」と銘打ったイベントを、女川でやった。

町民の10人にひとりが命を失った女川の町で、彼らは、1年後に「祭り」をやったんです。

それは、多くのテレビが、あれから1年経った今でも、震災という「事実」と、それに対する人々の悲しみややるせなさという「感情」ばかりを押し出して、余計な気遣いしかコメントできない報道とはまったく違い、人間が自然に立ち向かう本能に根ざした、力強く、正直なイベントでありました。

「女川町商店街復幸祭」という名に刻まれている「商店街」は、まださら地のままです。まだ復興していません。でも、会場となった総合運動場には、日曜日、数多くのテントが並び、そこに女川町の名産品が並びました。

祭りの開催宣言をした若き女川町長は、満面の笑みでこう言ったそうです。

「ご来場のみなさま、本日はお時間の許す限り、そしてご予算の許す限り!祭りをお楽しみください」

その的を得た言葉に、みんな笑ったそうです。

女川町にあった「秀光堂」というレコード屋が、テーブルをひとつ出し、そこに、ゲストに呼ばれた樋口さんのCDを並べました。

樋口さんはステージの上から、こう言っておりました。

「僕は普段、CDを買ってくださいなんて言わないけど、今日は言います。買ってくれ」

テーブルの前に行列ができ、この日、秀光堂は復活の第一歩を刻みました。

「とにかく人に来てもらって、女川を見てほしい。そこから始めないと、なにも始まらない。女川に人が来なくなったらダメになる」

そのわかりやすい趣旨に賛同し、我々は女川に行きました。

初日の夜は、女川の工務店の敷地に建てられたコンテナの居酒屋で、イベントの実行委員会の連中といいだけ酒を飲み、バカ笑いをし、2日目の夜は、石巻の「BAMBOO SHOOT」という店で、「女川さいがいFM」のスタッフたちと、店のマスターといいだけ酒を飲み、最終日は、「高政」でビールを飲みながら蒲鉾を食い、昼メシは港の「おかせい」で、毛ガニと特上寿司をいただいて、満腹で仙台空港に向かいました。

被災地に行って、こんだけ満喫してきた我々は、「不届き者!」と呼ばれるかもしれませんが、いやいや、女川にはいっぱい美味いものがあるんだからしょうがない。

そして、楽しい連中がいるからしょうがない。

日曜日にイベントに来てくれたみなさん、どうもありがとう。

おかげさまで、祭りの来場者は、1万人。女川町の人口を超えたそうです。

祭りに来られなかった人も、機会があれば、ぜひ女川に足を運んでみてください。町の様子にショックを受ける人もいるかもしれませんが、それ以上に、テレビでは伝わらないなにかを感じるはずです。

それは、人間にとって、とても大事なもののように思います。

私も嬉野さんも、そして一緒に行った四宮さんも、女川の町の写真は一枚も撮りませんでした。

私たちにとっては意味がないと思ったからです。写真を見せても何も伝わらないと思ったから。

私は、今はさら地のこの町が、これからどうなっていくのか、そこにすごく興味があります。それは、おおげさではなく、世界中の人類が注目していることだと思います。飲みながら、こんなことを言いました。

「キミらは間違いなく、世界のトップを走っているんだよ。人類がこれからどうやって生きていくのか、どうやって立ち直っていくのか、それをみんなが見ている。ものすごい犠牲を払っているんだから、それを利用しない手はない。したたかに、したたかに、やっていこうよ」

町のある人は言いました。

「これまでの1年は、ある意味、みんな平等だったと思います。みんな、それぞれに被害を受けた。でもここから、先に行こうとする人と、それに追いつけない人との差が生まれてくると思います。追いつけない人を放っておいて先に行ってはいけない。そこも取り込んでいかなければいけない。それがたぶん、これからの問題になってくる。そこが一番難しいでしょう。だって、本来なら100年かかって作る町を、10年ぐらいでやろうとしてるから、問題もきっと大きい」

とても冷静な視点だと思いました。

「でも、おれらが先に行かないと何も始まらんよ。おれは先に行くことを考える」

別の人は、そう言いました。

また、女川町に行こうと思います。この町がどうなっていくのか、この町の人々がどうやっていくのか、見ていきたいと思います。でまた、いいだけ一緒に酒を酌み交わしたいと思います。


さささ、では!今夜10時に、ユーストリームでお会いしましょう。


あ、追伸。わたくし藤村が、札幌オオドオリ大学(本当の大学ではなく、市民が自由に参加できる生涯教育を目的としたもの)で、講座を開きます。

2050年の札幌をどんな街にしたいか、というようなことを割りと具体的に考えていこうという講座です。北大の先生や、いろんな方と話をし、受講生のみなさんと一緒に、札幌の設計図を勝手に作って、なんならそれが実現するようにしちゃおうや、というものです。ただ今、受講生募集中。詳しくは「札幌オオドオリ大学」のホームページへ。


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北海道物産展が開催!
HTBも以下の日程で参加します!
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(18:28 藤村)

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