2009年1月27日(火)
先日アニメになりました嬉野です。
とにかく藤村先生の御指導のもと、
言われるがままにやりまして、
私には何が面白いんだか分かりませんが、
あの方が、「いやぁ今の絶叫は琴線に触れました!」とか、
なにやら爆笑して喜ばれるものですから、よく分からんが、この人が満足してるんだから、まぁ好いのだろうと思って録音を終えて東京から帰って来た次第で。はい。
もうね、なんでもやりますよ。やれる範囲のことはやるの。
いいのもう、今年50だから。
さて奥さんね。
慣れ、不慣れということを感じさせられる瞬間というものが、どうもあります。
アニメの話じゃないですよ。いや、それもそうだけど、その話じゃないの。
慣れ不慣れというのはね、往々にして仕事に対して深刻にあったりするのですが。
そのことをなんかの拍子に思い知らされてね、
焦る時が、誰の人生にもあったろうし、
この先もあるだろうし、
今現在もあるだろうしね。
で、まぁ、慣れるには時間の問題、個々の能力の問題など、いろいろあるような気がするのだけれど。でも実際、慣れるということはどういうことなのかということを考えたことがなかったのですが。えぇ、この前考えました。
聞きたいですか?
「...」
聞きたいですか?
「...」
おかしいですねぇ。声が聞こえてきませんねぇ。
聞きたくないんですか。
なに?
また長くなるんでしょう?
当たり前じゃないですか。
途中で飽きませんか?
知りませんよそんなこたぁ。
だいいち聞いてくれようがくれまいがね、
ワタシャ聞かせますよ、勝手に。
「...」
ということでねぇ、慣れ不慣れという...。
何ですか?
なに?なんでもない?
でもあなた今、手を上げたじゃないですか。
なに?勝手に上がってしまった?
自分の手がですか?
自律神経の方に異常がある?
腱反射?
診断書もあります?
見ますか?
見ませんよ。
えぇ、ということはあなた、特段わたしの発言を阻止したいというアクションではなかったのですね。
あぁ違う。なるほど。そーですか、そーですか。
じゃぁ続けて好いですね。
はい。はい。
ということでね、慣れ不慣れの話ですけどね。
私が、そんなことを考えてしまったのにはそれなりに切っ掛けがあってね。
その話をこれからするんですが。
それは今年の年始のことでした。
私は一人、居間でテレビを見ておりました。
正月はテレビを見るに限ります。
いや別に、面白いとか面白くないとかじゃなくてね、
することが思いつかないのでテレビをつけるというあれです。
一番ダメなね、時間の潰し方です。はい。
ちびっ子がね、こういうことをしていては立派な大人にはなれませんが、中年は好いんです。おっさんはね、もうこれ以上特別どうにかなるわけでもないのでね、他人様に迷惑を掛けないように自戒の念に努めれば、あとは多少のことは勘弁してもらえるのです。
で、私はテレビを見ていたわけです。
盆栽の番組でした。
いや、とくに盆栽に興味があったわけではないです。
ただなんだか静かな番組だったから。
もうね、この頃は見てても静かかどうか、地味かどうか、その辺の価値観でチャンネルをそのままにするかしないかを決めるわけですよ。
で、その番組は静かに進行していたんです。
で、見てました。
でまぁね、盆栽にも興味が無いわけではなかったのでね、
だってあなた、植物のミニチュアでしょあれ。
すっげぇ小さな柿の木に、秋になるとすっげぇ小さな柿の実が赤く成ったりするじゃないですか。
興味深いですよね。
えぇっと。
そこの人。あなた。
あなたトイレに行きたいんですか?
違うの?
でも、さっきから貧乏ゆすりしてねぇ、気になるんですよねぇ。
違うんですか?トイレじゃない?
あぁ、癖。癖ね。
じゃ、しょうがないですねぇ。
多少のことは私も我慢しますから。
だからあなたも我慢して。
とにかくねぇ、他の人はもうみんな帰っちゃったからさぁ、
あんたしか居ないのよ、ここには。
何、何、なにを今頃になってあたりをキョロキョロ見回してビックリしてるのよ。
ね、あんたしかいないでしょ。
だからね、あんたはもう席を立てない。
分かりますね。
もう最後まで私の話に付き合ってもらいますよ。
ほんとにねぇ、タイミングと言うのはねぇ大事なの。
席を立つにもタイミングがあるからね、その間を外したらもう観念するしかないわけです。
分かりますね。
分かってる?
さすが。
ということでねぇ。
えぇ...、と、なんでしたっけ?
盆栽?
あぁそうそう、盆栽。
いやぁ助かる。あなたみたいな人いてくれると。
この頃はさぁ、遠まわしに伏線しゃべってる途中で本線の話の方を忘れちゃうのよねぇ。
早くやれ?
あぁ...。
でまぁね、盆栽の話ですよ。
というか盆栽番組の話です。
盆栽を教える先生もね、お若いお綺麗な御婦人で。
進行役のお姉さんもお若いお綺麗なお嬢さんで。
盆栽話も華やいだ雰囲気の中で進行しておりまして。
そのムードが妙にのどかだったものですから、ワタクシ、一人でポケーっと眺めておりまして。
でまぁ、いよいよこれから二人でね、実際に鉢にこの盆栽を生けていきましょうよという話になって。
で、そん時、お二人の前にそれぞれに盆栽キットが並べられ、鉢に土を盛って植物をこれに生けて、と、先生が実地に指導する。
それに促されて進行役のお嬢さんも見よう見まねで視聴者の代表として盆栽を鉢に生ける。
ところがまぁ実際にやってみると先生が言うように簡単じゃない。
なんでもそうです。慣れてる人がやると簡単に見えるけど、実際やってみるとうまくいかずに四苦八苦する。あります。あるんです。そーいうことはいっぱいある。そんなことばかりが人生みたいなことです。ねぇ奥さん。
で、慣れていないことを人前でやらされると人間はオタオタするのです。
あります。私なんか常にオタオタしております。
で、その進行役のお嬢さんも若干オタっておられたように見受けました。
先生の方はと見ると、こちらは悠然たるもので鉢に土を入れ植物を生け、土をかけるのが実に自然な動き。
お姉さんの方は、どうして思い通りならないのかしら、どうすれば上手くいくのかしら、そもそもどう進めていけば好いのかが既に分からないのかしら、と、なにやらどこやら焦りと不安げな表情ばかりが垣間見えてしまったりで。
でまぁこのように書いていくとね、そのお嬢さんのことをとやかく言っているように読めるかもしれませんのでね、それはまったく私の本意ではないのでこの辺りでやめますが。
私はその時ねぇ奥さん、今やその醸しだす雰囲気のまったく違ってしまったお二人を眺め比べながら思ったのです。
そもそも、この二人は何が違うのだろう、と。
盆栽先生の醸し出すムードと、
盆栽初心者のお姉さんが醸してしまうムードは明らかに違うのです。
それは眺めているだけで分かるんです。
盆栽先生の醸しは和みであり、盆栽初心者のお姉さんの醸しは焦りだったのです。
では、お二人は、いったい根本的に何処が違っていたのだろう、と。
私はその時に思って、次の瞬間、なんだか分かったような気がしたのです。
その違いは、そのお二人のその時の気持ちの置き場にあるような気がしたのです。
つまり簡単な話です。
盆栽先生は、自分の気持ちを目の前の植物に向けていた。
この子をどうしたら快適に生けてあげられるだろうかと、そればかり思っていた。
それだけ。
だから盆栽先生の気持ちはその時、植物にあった。
盆栽先生の手は、その気持ちに操られて動くばかり。
一方、盆栽初心者のお姉さんは、自分が予想していた以上に盆栽を生けるのが思うようにいかずショックだった。そのことで若干パニックになりだした。で、そこから先は、そのパニックな自分をとにかくどうにかしたい思いで手一杯だった。
だからその時のお姉さんの気持ちはいつまでも自分の中にあった。
だから当然目の前の植物は、気持ち的に、ほったらかしにされていた。
そしてただただお姉さんはパニックになって、とにかく一刻も早く自分が楽になりたいという気持ちだけでいっぱいいっぱいだった。
そこに。
つまり、かたや植物に、かたや植物をほっといて自分にという、
この気持ちの置き場の違いに。
この時の二人の醸すムードが違ってしまう原因があった。
私はそう思ったのです。
大事なことは目の前にある盆栽のことを考えてあげることだった。
どうしたらこの子を快適にしてあげられるか。
考えなければいけないのは、そのことだけだった。
そう考えたらね奥さん。
その瞬間から、なんだか物事は簡単なことのように思えてきたのよ。
つまり、作業に不慣れであっても、目の前の植物をどうしたら快適にしてあげられるだろうと思い遣るスタンスさえ見つけられれば、基本的には好いということだものね。
植物に気持ちを向ける。
そのスタンスに立てば、その後は、目の前にいるその子のために何を覚えて、どう構ってあげれば良いのだろうと考えられて、ぼくらは人間らしい気持ちになれる。
そのスタンスは、人として一番楽なスタンスだと、ぼくは思いましたの奥さん。
でも、普通、慣れない内は、自分がどう見られてしまうかとか、もっとできる人間に見られたいとか、万時人前ではそつなくありたいなどという思いが強いものだからね、いつまでも気持ちが自分にばかりに向かって、自分にばかり執着してしまう。
でも、それだと盆栽はね、きっといつまでたってもほったらかしなのよ。
そんなんじゃぁ、誰もそんな自分に共感してくれない。
当たり前のことだよねぇ。
年始の我が家の居間でね、40代最後の正月を迎えて、ワタクシは一人しみじみと思ったのです。今更のようにね。
生きていればね奥さん、仕事が出来ないとか言われてね、バカにされたり、軽んじられたり、舐められたりするものでね、
そ んな憂き目に会いたくないから、まったく分かんなくても、とにかく分かったような顔でね仕事が出来る振りをしたり、文句言わせないように無闇に牙を剥いて 威嚇したり、ただただ不安で焦るばかりだったりするんだけど、でも、そういう生活って、やっぱりしんどかったりするのよね。
でも、それがしんどいのはさぁ、いつまでも気持ちが自分の中にばかりあってね、盆栽を見失っているからなのよね。
盆栽を見失わず、盆栽の気持ちを考えて、盆栽がすくすくとそだつことを目指す。
それがただひとつの仕事を覚えるコツのような気が今はします。
母親や父親になった人が、生まれてきた子を大事に育てるためにさぁ何をしてあげようかと思い遣る。それが全ての仕事と言う名の盆栽に立ち向かう手本であるように思えます。
それだったら、当たり前のことだし、
そういう親を見てると、少々子育てに不慣れでも傍で見ていて心が和む。
知らないことを教えてあげてもきっと素直に聞いてくれる。
慣れない仕事をする時は、わりとパニックになってるからね、
そういう時は、自分の頭が普通に働くようにまず落ち着くのが大事よね。
そして当面、出来ないことは、出来る人に任せれば好いと結論する。
そうすっとその分ホッとするの。
ホッとすると余裕が出来るのよ。
余裕を作らないと出来ることも出来なくなるのが人間よ。
出来ないところは誰かが助けてくれる。
そう思い込んで他人を信じる。
これって、難しいけど、逃げられない時にはやってみる価値はある。
そうしてそのことで自分の頭がリラックスしたら物事はまた考えられるようになる。
したら自分に出来ることは出来るようになる。
出来ることは頑張れるものね。
そして自分が頑張れることだけはとにかく頑張る。
だってさぁ、人間はみんな、本当は頑張りたいのよ。
ただ頑張れることと頑張れないことがあるから。
だから出来ることはとにかく頑張る。
出来ないことは頑張れない。
それだけ。
別に演説する気じゃぁなかったんだけどね。
年よりはくどくていけないね。
じゃ、また明日。
最後の人は、明かりを消して帰ってくだ...。
あぁ。
もう、さっきのあいつも帰って、オレだけか。
じゃ、電気消して、オレ、解散。
(20:10 嬉野)
先日アニメになりました嬉野です。
とにかく藤村先生の御指導のもと、
言われるがままにやりまして、
私には何が面白いんだか分かりませんが、
あの方が、「いやぁ今の絶叫は琴線に触れました!」とか、
なにやら爆笑して喜ばれるものですから、よく分からんが、この人が満足してるんだから、まぁ好いのだろうと思って録音を終えて東京から帰って来た次第で。はい。
もうね、なんでもやりますよ。やれる範囲のことはやるの。
いいのもう、今年50だから。
さて奥さんね。
慣れ、不慣れということを感じさせられる瞬間というものが、どうもあります。
アニメの話じゃないですよ。いや、それもそうだけど、その話じゃないの。
慣れ不慣れというのはね、往々にして仕事に対して深刻にあったりするのですが。
そのことをなんかの拍子に思い知らされてね、
焦る時が、誰の人生にもあったろうし、
この先もあるだろうし、
今現在もあるだろうしね。
で、まぁ、慣れるには時間の問題、個々の能力の問題など、いろいろあるような気がするのだけれど。でも実際、慣れるということはどういうことなのかということを考えたことがなかったのですが。えぇ、この前考えました。
聞きたいですか?
「...」
聞きたいですか?
「...」
おかしいですねぇ。声が聞こえてきませんねぇ。
聞きたくないんですか。
なに?
また長くなるんでしょう?
当たり前じゃないですか。
途中で飽きませんか?
知りませんよそんなこたぁ。
だいいち聞いてくれようがくれまいがね、
ワタシャ聞かせますよ、勝手に。
「...」
ということでねぇ、慣れ不慣れという...。
何ですか?
なに?なんでもない?
でもあなた今、手を上げたじゃないですか。
なに?勝手に上がってしまった?
自分の手がですか?
自律神経の方に異常がある?
腱反射?
診断書もあります?
見ますか?
見ませんよ。
えぇ、ということはあなた、特段わたしの発言を阻止したいというアクションではなかったのですね。
あぁ違う。なるほど。そーですか、そーですか。
じゃぁ続けて好いですね。
はい。はい。
ということでね、慣れ不慣れの話ですけどね。
私が、そんなことを考えてしまったのにはそれなりに切っ掛けがあってね。
その話をこれからするんですが。
それは今年の年始のことでした。
私は一人、居間でテレビを見ておりました。
正月はテレビを見るに限ります。
いや別に、面白いとか面白くないとかじゃなくてね、
することが思いつかないのでテレビをつけるというあれです。
一番ダメなね、時間の潰し方です。はい。
ちびっ子がね、こういうことをしていては立派な大人にはなれませんが、中年は好いんです。おっさんはね、もうこれ以上特別どうにかなるわけでもないのでね、他人様に迷惑を掛けないように自戒の念に努めれば、あとは多少のことは勘弁してもらえるのです。
で、私はテレビを見ていたわけです。
盆栽の番組でした。
いや、とくに盆栽に興味があったわけではないです。
ただなんだか静かな番組だったから。
もうね、この頃は見てても静かかどうか、地味かどうか、その辺の価値観でチャンネルをそのままにするかしないかを決めるわけですよ。
で、その番組は静かに進行していたんです。
で、見てました。
でまぁね、盆栽にも興味が無いわけではなかったのでね、
だってあなた、植物のミニチュアでしょあれ。
すっげぇ小さな柿の木に、秋になるとすっげぇ小さな柿の実が赤く成ったりするじゃないですか。
興味深いですよね。
えぇっと。
そこの人。あなた。
あなたトイレに行きたいんですか?
違うの?
でも、さっきから貧乏ゆすりしてねぇ、気になるんですよねぇ。
違うんですか?トイレじゃない?
あぁ、癖。癖ね。
じゃ、しょうがないですねぇ。
多少のことは私も我慢しますから。
だからあなたも我慢して。
とにかくねぇ、他の人はもうみんな帰っちゃったからさぁ、
あんたしか居ないのよ、ここには。
何、何、なにを今頃になってあたりをキョロキョロ見回してビックリしてるのよ。
ね、あんたしかいないでしょ。
だからね、あんたはもう席を立てない。
分かりますね。
もう最後まで私の話に付き合ってもらいますよ。
ほんとにねぇ、タイミングと言うのはねぇ大事なの。
席を立つにもタイミングがあるからね、その間を外したらもう観念するしかないわけです。
分かりますね。
分かってる?
さすが。
ということでねぇ。
えぇ...、と、なんでしたっけ?
盆栽?
あぁそうそう、盆栽。
いやぁ助かる。あなたみたいな人いてくれると。
この頃はさぁ、遠まわしに伏線しゃべってる途中で本線の話の方を忘れちゃうのよねぇ。
早くやれ?
あぁ...。
でまぁね、盆栽の話ですよ。
というか盆栽番組の話です。
盆栽を教える先生もね、お若いお綺麗な御婦人で。
進行役のお姉さんもお若いお綺麗なお嬢さんで。
盆栽話も華やいだ雰囲気の中で進行しておりまして。
そのムードが妙にのどかだったものですから、ワタクシ、一人でポケーっと眺めておりまして。
でまぁ、いよいよこれから二人でね、実際に鉢にこの盆栽を生けていきましょうよという話になって。
で、そん時、お二人の前にそれぞれに盆栽キットが並べられ、鉢に土を盛って植物をこれに生けて、と、先生が実地に指導する。
それに促されて進行役のお嬢さんも見よう見まねで視聴者の代表として盆栽を鉢に生ける。
ところがまぁ実際にやってみると先生が言うように簡単じゃない。
なんでもそうです。慣れてる人がやると簡単に見えるけど、実際やってみるとうまくいかずに四苦八苦する。あります。あるんです。そーいうことはいっぱいある。そんなことばかりが人生みたいなことです。ねぇ奥さん。
で、慣れていないことを人前でやらされると人間はオタオタするのです。
あります。私なんか常にオタオタしております。
で、その進行役のお嬢さんも若干オタっておられたように見受けました。
先生の方はと見ると、こちらは悠然たるもので鉢に土を入れ植物を生け、土をかけるのが実に自然な動き。
お姉さんの方は、どうして思い通りならないのかしら、どうすれば上手くいくのかしら、そもそもどう進めていけば好いのかが既に分からないのかしら、と、なにやらどこやら焦りと不安げな表情ばかりが垣間見えてしまったりで。
でまぁこのように書いていくとね、そのお嬢さんのことをとやかく言っているように読めるかもしれませんのでね、それはまったく私の本意ではないのでこの辺りでやめますが。
私はその時ねぇ奥さん、今やその醸しだす雰囲気のまったく違ってしまったお二人を眺め比べながら思ったのです。
そもそも、この二人は何が違うのだろう、と。
盆栽先生の醸し出すムードと、
盆栽初心者のお姉さんが醸してしまうムードは明らかに違うのです。
それは眺めているだけで分かるんです。
盆栽先生の醸しは和みであり、盆栽初心者のお姉さんの醸しは焦りだったのです。
では、お二人は、いったい根本的に何処が違っていたのだろう、と。
私はその時に思って、次の瞬間、なんだか分かったような気がしたのです。
その違いは、そのお二人のその時の気持ちの置き場にあるような気がしたのです。
つまり簡単な話です。
盆栽先生は、自分の気持ちを目の前の植物に向けていた。
この子をどうしたら快適に生けてあげられるだろうかと、そればかり思っていた。
それだけ。
だから盆栽先生の気持ちはその時、植物にあった。
盆栽先生の手は、その気持ちに操られて動くばかり。
一方、盆栽初心者のお姉さんは、自分が予想していた以上に盆栽を生けるのが思うようにいかずショックだった。そのことで若干パニックになりだした。で、そこから先は、そのパニックな自分をとにかくどうにかしたい思いで手一杯だった。
だからその時のお姉さんの気持ちはいつまでも自分の中にあった。
だから当然目の前の植物は、気持ち的に、ほったらかしにされていた。
そしてただただお姉さんはパニックになって、とにかく一刻も早く自分が楽になりたいという気持ちだけでいっぱいいっぱいだった。
そこに。
つまり、かたや植物に、かたや植物をほっといて自分にという、
この気持ちの置き場の違いに。
この時の二人の醸すムードが違ってしまう原因があった。
私はそう思ったのです。
大事なことは目の前にある盆栽のことを考えてあげることだった。
どうしたらこの子を快適にしてあげられるか。
考えなければいけないのは、そのことだけだった。
そう考えたらね奥さん。
その瞬間から、なんだか物事は簡単なことのように思えてきたのよ。
つまり、作業に不慣れであっても、目の前の植物をどうしたら快適にしてあげられるだろうと思い遣るスタンスさえ見つけられれば、基本的には好いということだものね。
植物に気持ちを向ける。
そのスタンスに立てば、その後は、目の前にいるその子のために何を覚えて、どう構ってあげれば良いのだろうと考えられて、ぼくらは人間らしい気持ちになれる。
そのスタンスは、人として一番楽なスタンスだと、ぼくは思いましたの奥さん。
でも、普通、慣れない内は、自分がどう見られてしまうかとか、もっとできる人間に見られたいとか、万時人前ではそつなくありたいなどという思いが強いものだからね、いつまでも気持ちが自分にばかりに向かって、自分にばかり執着してしまう。
でも、それだと盆栽はね、きっといつまでたってもほったらかしなのよ。
そんなんじゃぁ、誰もそんな自分に共感してくれない。
当たり前のことだよねぇ。
年始の我が家の居間でね、40代最後の正月を迎えて、ワタクシは一人しみじみと思ったのです。今更のようにね。
生きていればね奥さん、仕事が出来ないとか言われてね、バカにされたり、軽んじられたり、舐められたりするものでね、
そ んな憂き目に会いたくないから、まったく分かんなくても、とにかく分かったような顔でね仕事が出来る振りをしたり、文句言わせないように無闇に牙を剥いて 威嚇したり、ただただ不安で焦るばかりだったりするんだけど、でも、そういう生活って、やっぱりしんどかったりするのよね。
でも、それがしんどいのはさぁ、いつまでも気持ちが自分の中にばかりあってね、盆栽を見失っているからなのよね。
盆栽を見失わず、盆栽の気持ちを考えて、盆栽がすくすくとそだつことを目指す。
それがただひとつの仕事を覚えるコツのような気が今はします。
母親や父親になった人が、生まれてきた子を大事に育てるためにさぁ何をしてあげようかと思い遣る。それが全ての仕事と言う名の盆栽に立ち向かう手本であるように思えます。
それだったら、当たり前のことだし、
そういう親を見てると、少々子育てに不慣れでも傍で見ていて心が和む。
知らないことを教えてあげてもきっと素直に聞いてくれる。
慣れない仕事をする時は、わりとパニックになってるからね、
そういう時は、自分の頭が普通に働くようにまず落ち着くのが大事よね。
そして当面、出来ないことは、出来る人に任せれば好いと結論する。
そうすっとその分ホッとするの。
ホッとすると余裕が出来るのよ。
余裕を作らないと出来ることも出来なくなるのが人間よ。
出来ないところは誰かが助けてくれる。
そう思い込んで他人を信じる。
これって、難しいけど、逃げられない時にはやってみる価値はある。
そうしてそのことで自分の頭がリラックスしたら物事はまた考えられるようになる。
したら自分に出来ることは出来るようになる。
出来ることは頑張れるものね。
そして自分が頑張れることだけはとにかく頑張る。
だってさぁ、人間はみんな、本当は頑張りたいのよ。
ただ頑張れることと頑張れないことがあるから。
だから出来ることはとにかく頑張る。
出来ないことは頑張れない。
それだけ。
別に演説する気じゃぁなかったんだけどね。
年よりはくどくていけないね。
じゃ、また明日。
最後の人は、明かりを消して帰ってくだ...。
あぁ。
もう、さっきのあいつも帰って、オレだけか。
じゃ、電気消して、オレ、解散。
(20:10 嬉野)


